------------------ 球陽巻10-1 ------------------

  • [★★-- msearch版球陽全文検索ができます。ここをクリックして検索してください --★★]


  • [★★-- mamas版 球陽全文検索ができます。ここをクリックして検索してください --★★]


  • [本文0673]即位元年、特に家宅を国師蔡温に賜ひ、首里に移居せしむ。〔鄭〕
  • [本文0674]法司官職、始めて分ちて三と為し、以て各司の字印を用ふ。〔鄭〕
  • [本文0675]砂糖座、仍、奉行を置く。〔鄭〕
  • [本文0676]御船手座、仍、奉行を置く。〔鄭〕
  • [本文0677]始めて諸按司に毎位、儀者一人を賜ふ。〔鄭〕
  • [本文0678]向維藩、久米島に在りて法を制し、業を勧む。〔鄭〕
  • [本文0679]御書院副当役を裁停す。〔蔡〕
  • [本文0680]伊舎堂村の和仁屋、出来して十村に借与し民を済ふ。〔蔡〕
  • [本文0681]宮城邑の仲西、人を殺して恩寛を蒙り八重山に流さる。〔鄭〕
  • [本文0682]附 仲西の僕婢、他の父母を奉養す。然れども他の天久等三人、約に違ひて他の父母を供養せず。
  • [本文0683]天仁屋村の比嘉、身を忘れて母を救ひ、野猪を~謠Zす。〔蔡〕
  • [本文0684]福地村の比嘉、~ム々出来して郷里に借与し以て餓~リを済ふ。〔蔡〕
  • [本文0685]唐栄、儒家祭葬の礼を遵守するを題定す。〔蔡〕
  • [本文0686]座喜味村の上地、~ム々餓~リを済ふ。〔蔡〕
  • [本文0687]久高島は、俗、豚を養はず。〔鄭〕
  • [本文0688]正議大夫毛文哲・都通事蔡温等、禁城並びに国廟及び玉陵を相す。〔鄭〕
  • [本文0689]二年、船手座の簿冊に、始めて那覇・久米村・泊の海船数目を載す。〔鄭〕
  • [本文0690]王上、年十五にして元服し、国中の罪人を恩赦す。〔蔡〕
  • [本文0691]雷、奥邑の人家に隕つ。〔鄭〕
  • [本文0692]南風原の嘉数、農を教へて績有るを褒奨す。〔蔡〕
  • [本文0693]八重山竹富村に一婦の那辺と名づくる有り。一たびに三男を生む。〔蔡〕
  • [本文0694]若狭町邑の平好仁、始めて石硯を造る。〔鄭〕
  • [本文0695]宮古山に、嘉手苅邑並びに大浦邑を建つ。〔鄭〕
  • [本文0696]三年、始めて寺社奉行、宗廟の祭典を掌ると定む。〔蔡〕
  • [本文0697]泊筆者に俸米一石を加増す。〔蔡〕
  • [本文0698]始めて太医、其の属医とともに、輪流して禁に入り、宿衛することを定む。〔蔡〕
  • [本文0699]始めて官品の大小、宴椀を用ふるの多寡を定む。〔蔡〕
  • [本文0700]首里市地の南に、小店を創置し、並びに市の南地を広闢す。〔鄭〕
  • [本文0701]房弘徳、始めて堆錦塗を為り褒奨を賜ふを蒙る。〔鄭〕
  • [本文0702]国師蔡温、要務彙編を纂著す。〔鄭〕
  • [本文0703]今帰仁郡岸本邑の湧川、粟・米稲を公庫に奉借す。〔鄭〕
  • [本文0704]首里の安里、始めて挑灯と雨傘とを造る。〔鄭〕
  • [本文0705]古見島の石橋二座を改修す。〔鄭〕
  • [本文0706]久米島山里邑の婦女、一男二女を出産す。〔鄭〕
  • [本文0707]八重山石垣村の婦女、名は兼牛と叫ぶ、一たびに三男を生む。〔蔡〕
  • [本文0708]首里、諸僧をして壇を設け、祓禳して以て痘災を除かしむ。〔鄭〕
  • [本文0709]土倉を那覇の宮古蔵前に創建す。〔鄭〕
  • [本文0710]四年、始めて国王同宗の按司、王子銜に封ずるとき、姓を改めて尚字を用ふることを定む。〔蔡〕
  • [本文0711]始めて里之子家にして既に筑登之家と為る者、申口官銜併びに吟味官を拝するときは、即ち其の子孫、転じて旧家に復することを定む。〔蔡〕
  • [本文0712]石倉を御物城に移築して火薬を収貯す。〔鄭〕


  • ------------------ 球陽巻10-1 ------------------

  • [★★--足跡をのこしていただけるならここをクリックしてコメントをどうぞ--★★]