------------------ 球陽巻21-3 ------------------

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  • [本文1836]本年二月二十二日、久米島に異国船一隻の漂来する有り。
  • [本文1837]本年三月初三日、太平山島属下の多良間島に異国船一隻の漂来する有り。
  • [本文1838]本年、竜舟を爬し馬疋を閲するの典を行はず。
  • [本文1839]本年五月初二日、雷、勝連郡に震ふ。
  • [本文1840]本年七月、宮古島、暴風大いに作り、稼穡を吹き損じ、房屋を吹き倒す。
  • [本文1841]本年十一月十五日、福州城内積翠寺に駐^するの~r~q~ル国領事李太郭、文書一道を将て、在~メ存留通事魏学賢に支給し、転じて本国官吏に伝へしむ。
  • [本文1842]本年、宜野湾郡の下知役を罷退す。
  • [本文1843]本年、勝連郡内間村の金城の善行を褒嘉して以て爵位を賜ふ。
  • [本文1844]本年十二月二十六日、北谷郡に雪の少しく降る有り。恩納・名護・久志・羽地・今帰仁の五郡に雹の降る有り。
  • [本文1845]本年、越来郡苦疲するに因り、御所帯方吟味役毛氏豊見山親雲上安慎を遣はし、厳に督理を行はしむ。
  • [本文1846]本年、太平山島、神宮・霊嶽・寺院に於て、上は国家の為に、下は全島の為に、其の安寧を~イる。
  • [本文1847]本年、応に天久宮に行ふべきの典礼を将て、都べて長寿寺に在りて挙行す。
  • [本文1848]十一年乙巳五月初二日、与那国島に異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1849]本年五月十五日、異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1850]本年六月、久米村に漢文師一人曁び漢文組立寄役一人を添設し、更に原、建つる所の寄役二人を将て、改めて漢文組立役と為し、広く諸生に教へて文風を振励せしむ。
  • [本文1851]本年七月初二日、八重山島に異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1852]本年七月初九日、異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1853]本年、~r~q~ル国船隻の本国に到来して土地を量るを要むることを停止す。
  • [本文1854]本年九月十四日、雷、崇元寺前面の下路に震ふ。
  • [本文1855]本年、接貢船、~メに入るの時、~r~q~ル国船の本国に来到するの事情を披陳し、福建布政司に移咨す。
  • [本文1856]本年、主上、普天間神に拝謁するの時、初めて竜福寺に詣りて香を焚き礼を行ふ。
  • [本文1857]本年、寝廟を造り広む。
  • [本文1858]本年、再び親方総山奉行を建つ。
  • [本文1859]本年、真和志郡古波蔵村を兼久原に遷すを准す。
  • [本文1860]本年、前任瓦大工泉崎村の知念筑登之親雲上の功労を褒嘉して爵位を賞賜す。
  • [本文1861]本年、越来郡の検者を罷退し指揮司一人を添設するを准す。
  • [本文1862]十二年丙午、百浦添殿を重修す。
  • [本文1863]本年、王城外囲御厩後の石垣を改築し、併びに城垣の各低処を畳築す。
  • [本文1864]本年三月十四日、雷、久志郡有銘村に盧居するの久米村幸地通事親雲上の宅内に震ふ。
  • [本文1865]本年、西村嘉数筑登之の伯祖母の長命を褒嘉して以て品物を賜ふ。
  • [本文1866]本年、国頭郡に下知役一人を加へ建つるを准す。
  • [本文1867]本年、知念郡及び久米・那覇両府并びに座間味・渡嘉敷両郡の人民の功労を褒嘉して各爵位を賜ふ。
  • [本文1868]本年、歓会・久慶・継世等の三門に、新に重扉を設け、以て城門を固くす。
  • [本文1869]本年、小禄郡大嶺掟金城等の功を褒嘉して各爵位を賜ふ。
  • [本文1870]本年三月十七日、久米仲里郡阿嘉村の洋面に異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1871]本年四月初五日、久米仲里郡真謝村の洋面に異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1872]本年四月初八日、久米具志川郡兼城村の洋面に異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1873]本年四月二十六日、今帰仁郡古宇利村の洋面に異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1874]本年十月二十七日、久志郡汀間村の洋面に異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1875]本年十一月十一日、久米仲里郡属下儀間村の洋面に異国船一隻の到来する有り。
  • [本文1876]本年、波上山宮に於て当に行ふべきの典礼を将て、東竜寺に在りて挙行す。
  • [本文1877]十三年丁未二月初三日、宮古島、風雨大いに作り、房奧を吹き倒す。
  • [本文1878]本年、久米島に~ム々西洋夷船の到来する有り。
  • [本文1879]本年二月十二日、宮古島来間村の洋面に西洋夷船一隻の到来する有り。
  • [本文1880]本年四月初六日、八重山島船越村の東方洋面に西洋夷船一隻の到来する有り。
  • [本文1881]本年四月初九日、粟国島東方渡地浦に西洋夷船一隻の到来する有り。
  • [本文1882]本年、伊平屋島の地頭代名嘉親雲上・仲田村の伊礼筑登之・我喜屋筑登之の功労を褒嘉して以て爵位を賜ふ。
  • [本文1883]本年、久米具志川郡の前の地頭代上江洲の善行を褒嘉して以て爵位を賜ふ。
  • [本文1884]本年、宮古島在番筆者の、期を踰えて留任することを准す。
  • [本文1885]本年、始めて宮古島に在りて講解師を設立するを准す。
  • [本文1886]本年五月、旧に仍りて爬竜舟の豊見城に赴くを許す。
  • [本文1887]本年、南風原郡山川村の、村を旧籍に遷すを准す。
  • [本文1888]本年、八重山島に在りて額外に在番筆者一人を設く。
  • [本文1889]本年、武氏鉢嶺親雲上喜英に命じ、姑米島弁公係役と為す。
  • [本文1890]本年、花奉行の勤職年期を二年に改定することを准す。
  • [本文1891]本年、粟国島に鶴二隻の飛来する有り。


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