阿口通事公事所
あ
琉館屋把門官詰所、相い破られ候に付き、同所
まで ふしん
并びに阿口通事公事所迄も 普 請仰せ付けられ候段、
こ
存留普久嶺里之子親雲上より別紙の通り申し来し候間、此の段申し上げ候、以上。
辰五月(甲辰:道光二十四年、一八四四)
足長史
奥間里之子親雲上
長嶺通事親雲上
百名親方
○上覧に備ふ。
琉館屋把門官詰所相い破られ候に付き、去去年よ
あ ござなくそうろふ
り普請願い仕り候へどもお取り揚げ御座無候、 去年に到りては、接貢船渡唐の上、把門官詰所崩落し、相公ども住居の所これ無き候に付き、
此の節
かな
普請仰せ付けられず候ては叶はざる事にて把門官
まで
詰所并びに同所右表へ阿口通事公事所迄も普請仰せ付けられ候様、把門官より布政司・海防官へ普
よし
請願い申し出でられし由にて、琉球方へも願い奉
も たの
り候様、把門官より阿口通事を以ってお頼みこれあり候に付き、勢頭・大夫御案内の上、願い奉り
いよいよ それ
候処、弥 、願い通り相い済まし候段承り候。夫より把門官詰所普請取り付け、右表へ阿口通事公
な
事作り調へ候。入り目両銀の儀は、布政司より成
くだ よしうけたまわ もっと
し下さるる由承 り申し候。尤 も阿口通事所壱軒長さ五間・横弐間作り置き候次第、表御方へも
よろ よう と はか おお くだ
宜しき様お取り計らい仰せあげられ下さるべく候。
さよう おこころえ いた
左様 御心得られ、此の段お問合い致し候。以上。
辰四月廿六日(甲辰:道光二十四年、一八四四)
普久嶺里之子親雲上[進貢存留通事金邦俊]
怱役
長史