○駅伝の制
せい
○江南、浙江等の諸省は旱路〔りくじ〕は二十里も(三百六十歩を里とす。一歩は今の小尺にて六
かね
尺四寸なり。小尺は即ち此の方の曲尺と同じ。但
(注一) クワンクヲニツイ(注二)
し一里は此の方の六町弱にあたる)曠濶僻静〔ひとはなれ〕の所とてはなし。二三里間を置きて村
フウテイ(注三)
 村落ごとに舗逓〔つぎば〕あり。これは一省の
フウスウ かしら
内の用向きを通達する継ぎ場にて、舗司とて頭分
フウショ しょやく
の役ひとり、舗書とて書役一両人、またその村の
やく フウ
百姓五人あるいは十人ずつ夫役を取り、これを舗
スウヒン司役という(一に舗兵という)
テイタン(注四)
 また京師には提塘といえる役所あり。一省々々
(注五)
より設け置くゆえすべて十八カ所ありて、京師の御用向き等をその本省へ通達するために、その本省武官挙人〔武挙郷試合格者〕を遣わし勤番せし
ルウチン
む。京師より本省までの路程遠き所は十四五人、近き所は十人ばかりも相い詰めるなり。もちろん
イサン文書等通達のことあれば勤番の挙人承り駅站〔う
ほんせい
まつぎ〕を経てその本省に至るなり。
イサン
 駅站は八十里あるいは百里に車馬の継ぎ場あり。
キンケン
これはおよそ欽件(天子より出づる事なり)憲件(上司より出づる事なり)公文、宿次ぎをもて諸
キンチャイ (注六)
省へ通達し、または欽差〔ごよう〕小差〔ほんせいのよう〕に至るまで、通行のために設けて人馬
てわけ
を分撥する所なり。もっとも所により継ぎ場の里数遠き所は腰站とて間の継ぎ場あり。もっぱら馬匹の疲れざるために本駅より設け置く所にて、村落のうち場所よろしき所の民家を用ゆるなり。
カンハ
 怱じて勘合とて此の方の御證文の如き物あり。
タアチャイ チャイクワン カンハ スヤウ大差は兵部の差官  ありて右勘合を持ち行く。小
チャイ
差 等は その官員 じしんに持ち行く。もっとも出
キイマアハイ
立以前に起馬牌を差し立てるなり。至る所の駅站、
それがし
この牌の数に合わせ馬を用意し、某  が持ち来た
サンチャイ
る勘合と引き合わす。散差〔官人私用〕に至りては起馬牌なく自身帯びたる勘合をもって駅站に至り時々に人馬を出ださしむるなり。
 駅の大小に従って馬匹の定額あり、あるいは百匹あるいは百廿匹と定む。
かしら イ チ
 この頭 分の役ひとり、これを駅逐という。次に
イ シイ
書役両人あるいは三人あり、これを駅書という。
マアイイ ジウイイ マアフウ馬医ひとりあり、獣医という。また馬夫〔うまかた〕あり。たとえば一駅の養う所の馬六十四匹ならば馬夫八人にて、一人の養う所八匹ずつなり。
クワンヅウ
この八匹の中に官 座とて主人の乗るべき馬一匹、
キンチャイマア
次に緊差 馬〔はやうち〕とて急用早打ちに用ゆる
バウデウ しょう さ馬二匹、包頭とて駄荷をつける馬一匹。また小 差
ば馬三匹あり。大官にあらざるゆえ、その駄荷も自
した
分の乗り下とす。散差馬一匹あり。右馬夫八人の
すけ じょう
ほかに、四人ありて養い方の助を勤む。もし定数のほかにも人馬入り用の時は、その所の百姓に申
ミンマア
し付けてこれを出ださしむを民馬というなり。
あいたい
 民商の人馬車船はみな相対に雇うことにてこの
えきさん ヤアハン(注七)
駅站のあずかる所にあらず。民商は宿毎に牙行〔といや〕といえるもの数軒ありて、これにて雇い
(注八)
出だす。民間には先触れ、駄賃帳などいえる事な
ヤアハン
し。諸民私用の旅行は牙行より牙行までにても多くは終日雇いにて、泊りまで雇い切りなり。右賃
ルウマア リイマア
銭は騾馬終日雇い切り〔銀〕三匁、驢馬は一里一
つも るい文の積りなり。但し車は騾二匹分の積りにて一日
たん
六匁なり。人足は終日百文、荷を担すれば二百文なり。荷の重さおよそ八貫目と定む。これより重
き荷物は騾馬を雇う。騾馬の負う所の荷物、重さ
ギャウツウ   か
四十貫目と定む。轎 子は一日六百文なり。但し轎
ご スヤウギャウ
子は大小あり。民商用ゆる所の如きはみな小 轎な
ルウギャウ
り。また騾轎 とて轎子の下に荷物をつけ、騾馬二匹をしてこれを負わしむ。人はその上に乗るなり。荷の重さ八十貫目と定む。一日の料八百文なり。
  注
一、清代の一里は約五七メートル。日本の一里 は四キロメートル弱、三十六町。
 二、ニ・ツイはピ・ツイかピ・ツインなどの誤刻 であろう。
 三、清代の駅伝の制は舗逓と驛逓とに分かれて いた。舗逓は歩逓、すなわち歩行による逓 送で、いわば飛脚の制、中国本部に限って 設けられ、官文書の逓送に当たる。駅逓は 継ぎ馬による官文書の逓送や官僚の往来に 当たるもの。北京の皇華駅を中心として全 国に配置され、各駅には馬夫十ないし百名 および同数ぐらいの駅馬を置く(水駅には 水夫と船)。重要な駅は兵部が直轄し戸部 が経費を支弁し、その他の駅は州県に属し て地方の経費によった。なお站というのは 軍事上の通報のためのもの。この両者の統 称が駅站であり、駅逓の制を利用するには 勘合あるいは火牌という手形が必要だった。
 四、正しくは提塘と書く。各省から派遣された 京師駐在の連絡官。兵部に属し、初めは低 い官職であったが、のち本省の武職中から 任用されることになった。
 五、清は国都を中心とする地域を直轄省とし、 地方を十七省に分けたので本部十八省と称 する。清末に東北に三省を置き(東三省)、 回部を新疆省と改めて二十二省となった。
 六、ごようは御用で、宮中または政府の用事。 欽差は大差の一種、大差は中央または地方 の大官や属国の使臣が公務によって往来す ること。小差は地方の文武官が属僚に上奏 書や慶賀文を京師に送らせるなどのことを いう。
 七、牙行は商取引の仲買業で、売手と買手の間 に立ち商談をまとめる仲買業者。牙行には 取引きの交渉を行なう部屋があるほか、倉 庫、宿泊施設、運送手段が整備されていた。
 八、先触れは、江戸時代に役人が道中する場合 に前もって沿道の宿駅に人馬の継ぎ立てな どを用意させる命令書。
(「清俗紀聞2」一三七〜一四〇頁『東洋文庫・平凡社』)
○駅站置附道具
キャバン
 駅站に置き附けの道具あり。狹板とて板二枚を
リンパン
もって公文を挟む板なり。鈴襷とて鈴の附きたる
たすき
襷あり。これは差官、舗司兵等に持たしむ。この鈴の音を聞きて次の継ぎ場にて用意するためなり。
スイツヤン ふさ やり ユウケン
綏鎗 とて総の付きたる鎗、油絹とて油引きたる絹
(注一) ニヤマウ  たけのこがさ
あり(此の方桐油のごとし)。箸帽とて 竹 笠な
ソウイー とけい ジャン
らびに蓑衣〔みの〕等の雨具、そのほか時計、常
テン ホンウエンバン ホイレ
燈、紅問 棒とて赤き漆にて塗りたる棒二本、回暦
さ しる
とて帳面あり、差し出したる時刻を記し、帰りた
ゼンケンハウツウ
る時、点を掛け消す。゚絹包紙とて絹の風呂敷あり、公文等をつつむためなり。また馬具あるいは
ツアン ツアウリヤウ うつわ
とて馬の草 料 〔かいば〕を切る器、豆を煮る
かいば ほ てい キャ
釜、飼草入れる桶等あり。舗遞〔つぎば〕にも狹
ハン リンハン ニヤマウ ソウイ ジャンテン
板・鈴襷・箸帽・蓑衣そのほか常 燈等あり。
 注  一、桐油合羽のこと。
     (「清俗紀聞2」一四〇〜一四一ページ『東洋文庫・平凡社』)