河役所
かわふね ホーペ ソウ フウデウ
○河船なれば河泊所〔ふねかかりば〕または埠頭
ヤ バア(注一)
〔みなと〕より船を出だす。閘E〔かわやくしょ〕
えん きわ
とて堰〔どい〕の際に河役所あり。その所にて荷
ほかふね
物を外船へ積み替え、または荷船をすぐに引きて
バア コウバア
Eを越さしむ。これを過Eという。もっとも改め
ぬ け に
方は軍器あるいは茶塩など官物を奸商 せざるため
うみべ かわべ タンズイン(注二)
なり。そうじて沿海沿河ともに塘ケとて五里十里
ズインテイ
ごとに番所あり。此の所をケ地という。所ごとに
バアゾン(注三) さむらい
把総〔めつけ〕一人、兵士二十人ずつ勤番す。こ
     すじ
れはもっぱら河筋盗賊ならびに非常の事を防禦するためなり。
注一、閘は水門、E=堰で土居つまりどてのこと。 河役所はどてを築き水門をつけて通行の船 を取り締まったので、閘Eという。
 二、清朝の漢人常備軍である各省の緑営は標が 最大単位で、標は営に、営はケ(または哨) に分かれていた。このケ(千総が指揮官) は全国各地に置かれた緑営の細胞ともいう べきもの。ケより小さいのが塘、塘より小 さいのが舗。この塘や舗になると戦闘任務 に当たるものではなく、もっぱら公文書の 取り次ぎや巡警に当たった。要するに塘ケ は、各地方に散在する緑営の分駐署を指す 語で、この場合、警備屯所ほどの意。これ を番所と訳しているのもいい。なお前出の 提塘という語も、塘を指揮する資格ある者 の意の武官名。
 三、清朝緑営の武官は、標を統轄して、総督・ 巡撫・提督・総兵官・副将・駐防將軍・河 道総督・漕運総督などと呼ばれる高級将校 (といっても選任の武官は提督・総兵官・副 将の三者のみ)、その下で営を指揮して参 将(副将を大佐に相当するとして中佐)・ 遊撃(少佐)・都司(大尉)・守備(中尉) などと呼ばれる中級将校、その下で主とし てケ(哨)の指揮をし千総(少尉)と呼ば れる下級将校、そして千総の下に属する最 下級の武官として把総があった。 「清國 行政法」で把総は「わが軍曹に相当す」と 注しているように、これは下士官クラスと いうべきもの。これを目付と訳したのは、 長崎では貞享三年ごろから与力を表向きに は給人といい、この給人のうちに大目付、 目付とよばれるものがいたのによっていよ う。つまりこの目付は長崎での用語で、江 戸でいえば与力に当たるもの。
(「清俗紀聞2」一四七〜一四八頁・『東洋文庫・平凡社』)