観象台
○北京内城の東南隅に近いところに、城壁に接して建てられていた。元明時代にも同じところにあったが、元代の大都の城壁はもっと内側を走っていたので当時は城外にあった。明の時に城が拡大され、観象台は城内に入ることになった。清代にはずっと観象台という名であったが、民国に入って中央観象台〜気象観測所と名を変えた。(薮内清『支那の天文学』恒星社、昭和十八年、二一二ページ)(「イエズス会士中国書簡集1・康熈編」二〇三頁注五八)
○清代の観象台は北京内城の東南隅に近いところに城壁に接してつくられていた。元・明時代にあっ
てもここで天文の観測が行なわれた。
(『「中国の医学と技術」イエズス会士中国書簡集』一八〇頁注五、『東洋文庫・平凡社』)