啓本 いたるまで ○文書の名称。晋より南北朝に迄 は、臣工が皇帝に向かって啓奏する文書の一つにして、唐宗より明に至るまでは、臣僚が皇太子に向かって事を言う文書なり。清初には、大臣が摂政王多爾袞に向かって事を言うに啓本を用い、順治三年(一六四六)四月に至りて廃止す。三藩を平らぐ時に各 省の地方督撫及び文武官員が領兵の各王・貝勒に また かつ 上書する時にも亦た曾て啓本を用いたりしが、後廃止す。(朱金甫)(「中国歴史大辭典・清史(上)」二五〇頁、原中文)