貢物
○貢物が京に至らば、會同四譯館卿によりて査驗し、常貢及び慶賀の貢物をば題請して収受するを
ほか除くの外、其の謝恩及び陳奏して進む所の方物は、禮部 よ ま部に由りて、應さに収受し、或は留めて下次の正
あ も
貢に抵てるべきや否やを將って具題して旨を請ひ、
受け玉 あ
如し旨を奉 はりて留めて下次の正貢に抵てるべし
わた 保 管
とあらば、則ち貢物を以て内務府に交して存儲せし
ま あ
め、應さに貢すべきに届たるの時、本内に於いて聲明して、[前回内務府に存儲して留めて下次の正貢に抵てることになっている貢物を
あ應貢の時の正貢に]抵てることを准さるれば、[留めて下次正貢に抵て
不   足   分 あて み
られた貢物をもって應貢の時の貢物の]盡さざる者を抵充たし、[その餘
な 申し送りて 知
は]再び下次に移入す。仍ほ該の國王に行 知らすべし。・・・中略・・・・・・
あらか 保管
 琉球の貢す所の硫黄は、豫 じめ福建の藩庫に儲

し、該の督撫に知照して、工部の應さに用ふべき時に於いて取用するを聽たしむなり。・・・
・・・・中略・・・・
 凡そ各國の方物は題准して収受するの後、金寶
わた わた
器幣は内務府に交し、象は鑾儀衛に交し、馬は上
わた わた
駟院に交し、腰刀・鹿皮・青黍皮等は武備院に交すなり。・・・・中略・・・
  琉球の正貢は硫黄一萬二千六百斤、紅銅三千斤、
いた白剛錫一千斤なり。届る毎の慶賀・表賀及び謝恩の進貢は、皆な方物を以てするも定額なし。該の國王は請ふに陪臣子弟の入監読書を以てせんが、
受け玉 ゆる旨を奉 はりて恩もて准さるるの後に、該の國は常
ほか お
貢の外に於いて圍屏紙三千張、蕉布五十疋を加進
うやうや
し、學成り歸國すれば、恭 しく謝恩の方物・圍屏紙五千張・蕉布一百疋をすすむるなり。
(「欽定大清會典・巻三十九、主客清吏司」〇四〇八)
●[道光二十七年・一八四七年]
一、福州琉球館屋の儀、大切なり。勅書・御拝領
ほか
物・表文・貢物、その外、御当地[琉球]の御用物等
これ つ ふさぎ
の格護之ある事候に付き、第一に盗賊の防 、館中
よくよく
の取り締まり等を能々入念にすべき事
一、御用物又は渡唐の者ども、交易の唐産・和産、
そうらひ おさしさわり
異国人どもへ差し知らせ候 ては至って御故障成り立つべく館屋にては勿論、荷役積み入れの節も
よくよく こ
能々その格護之れあるべき事
そうら
  右兩条は入念すべき儀は申す迄もこれなき事候
えども、福州の儀、会船所は殊に当時は異国人ど
は  や よしそうろふ
も入り込み罷り在り、盗賊も相い時行る由候 に
つ かれこれ いよいよ な そうらひ かな
付き、彼是、弥 其の慎み之れ無き候 ては叶はざ
そうろうふところ そう
る事候    処、万一大形あい心得、何か届け兼ね候
ろふ おんおもひやりおぼし
  儀もこれあるべきかと、毎度、御念 遣思 召さ
そうろふ おもむき そ
る事候 条、前件の趣等、其の意を得られ、当時
から な よ
柄猶ほ入念に随分無事故を以て首尾能くこれあり
そうろふよう そうろふ こ むね
候 様、精々勤務致さるべく候。此の旨、分けて申
おさしず そうろふ
し渡すべき旨、御指図にて候 以上。
 未八月五日[道光二十七年・一八四七年]
未秋走
渡唐役者中
おお わた お そうろうふあひだ
 右の通り仰せ渡し置かれ候   間、其の意を得ら
そうろふやう
れ、万事首尾よくこれあり候 様取り締まり向き
など それぞれ さしず いた むね お さしず
等、各 よりも時々指図致さるべき旨、御指図にて候、以上。
つけたり 致  書 だいごとに
 附  、本文、存留方へ致帳し留め置き、毎代 、
よろ つぎ わた と しま む もどうしそうろふ合しく伝失なく次ぎ渡し取り締まり向き最通候  様申し渡され候。
 未八月[丁未:道光二十七年一八四七]
勢頭[正使]
大夫[副使] (「琉球王国評定所文書・第三巻」三七三頁「丁未接貢船仕出日記」)