冊封使
冊封 たま
○凡そ外國を封するには必ず之に詔勅を錫ふなり。
たま
初めて内附すらば、則ち之に印を錫ふなり。皆な
そ 天子がいつくしみの心から与える賜物 冊封使
副ふるに恩齎 を以てす。凡そ封使は
天子の特旨による任用 うけたま 費用と護送
皆な特簡 を奉 はるなり。儀服・資護 は、
それぞれ 給予 等級 おく
各 予するに其の等を以ってするなり。使者に餽
りものをおくる 辞退
することあれば、受けるを辭するに必ず禮
冊封使
を以ってす。若し封使なければ則ち勅印を其の歸
使に授けて之を封ずるなり。
(「欽定大清會典・巻三十九、主客清吏司」〇四〇七〜〇四一三)
出 発 ま え 申しおく
○冊封正副使の起行の前期に、工部に行 りて勅

いれ 受けと 申しおく つ
書を盛る筒を取 り、戸部に行 りて[勅書の入った筒を]包
つ 受けと ささげもっ
裏む布疋を取 るなり。使臣は詔勅を奉 て、該の國境に入るなり。國王は陪臣を遣わして恭しく詔勅・龍亭を迎へ、三跪九叩の禮を行なひ、正副使を見れば一跪三叩の禮を行なふなり。
 詔勅及び頒賜の器幣は、使館に奉設す。詔勅を
いた
宣讀するの期に届らば、國王は陪臣を率ひて館に至りて肅しんで詔勅を迎へて殿に升せ、國王は陪臣を率ひて三跪九叩の禮を行なふなり。”興”と
しかるのち ひざまず おわ
ありて乃 跪 きて詔勅の宣讀を受く。畢れば禮を行なふこと初めのごとし。
 若し王妃を冊封するには國王を以って命を受け、世子を封ずるには國王が[世子を]率ひて以って命を受く。禮も亦た之の如し。
 凡そ詔勅の宣讀の後、[冊封使は]例として應さに[詔
もたらしか 返 還 た勅を]齎回 へり内閣にク還すべし。惟だ琉球は暦次[詔勅を琉球に]留められんことを請ふにより、使臣をし
ゆる な
て其の請ふるを允すを得さしむるなり。仍ほ該の國王をして[冊封に対する]謝恩の表の内に於いて[詔勅を琉球に留めて珍蔵することが允されたことを感謝する旨を]聲明せしむるなり。
 凡そ使を遣わしての冊封には所有の該の國の「
申し付 もたらしゆか
典は、即ち使臣に交 けて齎 往しむるなり。
 先に該の國の先王廟中に於いて諭祭するなり。
ささげも 安置
正副使は廟に入り諭祭文を奉 って正中に安し、使臣左右に立ち、世子は陪臣を率ひて三跪九叩の
しかるのち禮を行なひ、乃 、諭祭文を宣すなり。世子等
皆な俯伏す。

 宣し畢わりて、次に冊封の禮を行なふなり。世
冊封
子は既に封を受けて始めて王と稱すことをば廟に
まい
告げ、該の國の羣臣の朝を受け、親しく使館に詣
冊封 [酒宴をして勞をねぎらう]
り封を謝し、正副使を燕勞 するなり。
(「欽定大清會典・巻三十九、主客清吏司」〇四一一〜〇四一二)
○封使の服は、明は則ち給事中は麒麟を以ってし、行人は白澤を以ってす。本朝[清朝]は康熈五十有八年の海・徐[海寶・徐葆光]の二公の出使より、始めて東
とも
珠帽頂を用ひ、正副使皆に正一品麟蠎服を賜わる。工部の製造、禮部の頒給に由るなり。頂帶は自ら備ふるなり。跟役は、正使は二十人、其の副は十

五人なり。例として頂帶のある者は仍ほ從客を聘帶するを許さるるなり。
 都門を出ずれば、肩輿八人にして、例として節を持す。詔勅の前には、黄蓋・龍旗等の儀あり。
うけと  ゆえん
皆な工部より咨もて取 れり。天威を壯にする所以
なり。・・・・・
いわ
  鼎元曰く「冊使は既に文臣を遣わして而して[武臣の服する]麟蟒を服するは何ぞや」と。先生[大宗伯紀暁嵐先生]
曰く「武を示すなり、亦文武兼資の意なり」と。
(「使琉球記」台湾銀行本一二二頁)
○十一月十有六日、禮部題す。旨を請ふ事の爲めにす。・・・・・
さきの例
一、向例、正副使は、正一品蟒緞披領・袍各一件・麒麟の補・褂各一件を賜われり。工部に行文し

て辧給するなり。仍ほ其の自ら正一品の頂帶を備
ふることを許されり。事畢はりて京に回へらば仍ほ本任の品服を用ふるなり。此次の封使も亦た應さに例に照らして給予すべし。・・・・
自分勝手に処理
臣等未だ敢えて擅便 せず。謹しみて題して旨を
受け玉
請ふなり。旨を奉 はるに「依議、欽此」とあり。・・・・・・・・・・・(「使琉球記」台湾銀行本一二四〜一二五頁)