執照
すべ こ 証明書
○符文・執照は都て是れ憑 証の文書なり。符文は

南北朝の時に在いて非直属機関の間にて交往する

時に在いて使用する一種の一文書なり。明代には
証 拠
符驗ありて、出差の人員が驛站にて使用する憑據
すべ こ 関係
なり。清代の符文・執照は都て是れ関有る官署が
現 在外出人員に発給する証明なり。今天の介紹信に相当せり。(『第二届中國琉球歴史関係研討会論文』「清代中琉関係文書研究」・秦國經)
○執照の形式
@発給者と執照の見出し。
A遣使の目的
B使者を派遣するがその使者は証明書がなければ中國側の官憲に拘束され恐れがあるので、王府発給の半印勘合執照を都通事○○○に持たせるので、調べられ、ただちに放行願いたい、という旨の執照の目的の記述。
C乗船者の人数及氏名の列記。
D右執照附都通事○○○等、准此。
E執照を発給した年月日。
○「歴代寶案」中の執照
 「歴代寶案」に記載のある執照の発給者の大部分は@中山王であるが、A中國側政庁、B琉球國山南府、山北府等が発給したのも若干ある。
@中國側発給の執照
(一)福建等處承宣布政使司発給の執照
○福建等處承宣布政使司布政使加二級紀録三次在任守制劉懇給執照以便過海事(「歴代寶案」二一三五)
  中國に漂着した太平山の石垣等が林合興という中國人の舟を借りて歸國することが許されたが、海上の往來は印信執照によって保障されるので、中國船のもつ部牌、縣牌のみでは、不都合であるので、執照を給与されたし、との琉球の使者(毛尹仁)の要請に応じて、福建等處承宣布政使司が発給した執照がある。
 この福建等處承宣布政使司発給の、中國へ漂着した琉球人を乗せた中國人より借りた船の往來を保障するための執照は、彼らが琉球に歸國後は、その執照を返還するように求められて、それを福建等處承宣布政使司に返還している。(「歴代寶案」二一三六、二一六五)。中國へ漂流した琉球人を進貢船・接貢船へ附塔せずに送還する場合には、「執照」を付与して送り歸國後その「執照」は発給者のもとに返還することになっていたと考えてよいだろう。
(二)海防同知等発給の執照
○福建理事分府兼□福州海防分府事加三級奇 為 給照事・・・・
 右執照給総管柴延輔等収執
乾隆貳拾壹年伍月十二日給(「歴代寶案」二八二二)
○署理福建福州海防分府印務便官正堂加三級記功
二次徐 為給発護照事
右執照給毛獻圖等齎執
乾隆貳拾伍年捌月十六日給(歴代寶案」三〇〇五)
○福建福州府正堂兼攝海防分府随帶加二級又加一
級紀録八次李 為給發護照事
右執照給張能勝等齎執
乾隆貳拾陸年柴月十四日給(「歴代寶案」三〇一二)
○福建福州府正堂兼攝海防分府随帶加二級又加一 級紀録八次李 為給發護照事
右執照給黒嶋首里大屋子等齎執
 乾隆貳拾陸年柴月十四日給(「歴代寶案」三〇一四)
○福建福州清軍海防駐剳南臺兼官水利分府加三級 紀録三次韋 為給發護照事
右執照給難夷大灣等齎執
乾隆貳拾柴年閏伍月十五日給(「歴代寶案」三〇三八)
A琉球國中山王発給の執照
(一)進貢船隻に対して発給された執照
(二)接貢船隻に対して発給された執照
(三)○琉球國中山王尚 為送還雇募商船難夷駕回本 國船隻事(「歴代寶案」二一六六)
○琉球國中山王尚 為解送難民以還原籍事・・
 右執照附通事陳以桂等、准此(「歴代寶案「二五九九)
B山南府・山北府発給の執照
(一)○琉球國山南府玉城縣正堂向 為給照難商遣撥 回國事の題の執照が三通(「歴代寶案」二一六七]〜二一七一)
○琉球國山南府玉城縣正堂向 為給照難商遣撥
回國事
右執照附鎭洋縣船戸汪吉泰、准此
雍正拾年拾貳月二十三日給(「歴代寶案」二一六七)
  ○琉球國山南府玉城縣正堂向 為給照難商遣撥   回國事
右執照附崇明縣船戸施陛、准此
雍正拾年拾貳月貳拾参日給(「歴代寶案」二一六九)
○琉球國山南府玉城縣正堂向 為給照難商遣撥
回國事
右執照附通事船戸潘瑞伯、准此
雍正拾年拾貳月貳拾参日給(歴代寶案」二一七七)
○琉球國山南府知府毛 知會事・・・・・
 右執照附海澄縣船戸王榮興、准此
乾隆拾肆年拾貳月初二日給(歴代寶案」二五五一)
○琉球國山南府知府毛 知會事・・・・・
右執照附崇名縣船戸顧君妃、准此
乾隆拾肆年拾貳月初二日給(歴代寶案」二五二)
(二)○琉球國山北府知府向 為知會事・・・
給本縣票静字三百六十七號、給関部牌洪字一 百四十貳號坐駕鳥船壹船・・・・・・・
 右執照附海澄縣船戸柯啓隆、准此
乾隆拾肆年貳月初二日給(「歴代寶案」二五五〇)
○琉球國山北府知府向 為知會事・・・
     右執照附鎭洋縣船戸張常盛、准此
   乾隆十五年正月十四日給(「歴代寶案」二五九四)
 ○琉球國琉球國山北府知府向 為知會事・・・  右執照附鎭洋縣船子許世泰、准此
  乾隆十五年正月十四日給(「歴代寶案」二五九六)
◎「歴代寶案」に掲載されている琉球側が発給する執照は殆どが中山王であるが、Bの例のように、
山南府知府、山北府知府が中國人の漂着人に対して発給しているのもある。これらが発給されたのは雍正・乾隆時代であるから、当然中山の支配下にあった筈であるので、漂着中國人は中山王府に送り、中山王府が中國に送還するのが順当である筈であるが、山北府、山南府の堂官が漂流中國人
に対して通行の保証をする執照を発給しているのである。なんとも不可思議な執照である。このことをどう解してよいか今のところ未詳である。後考をまちたい。
●「給發護照](「歴代寶案」三二八六、三二九四、三三六六,三三七二,三四二七、三五五五、三五八六,三五九一・・・)
○[執照]
一、接貢船より持ち帰り候空道サびに執照御印御判数の書き付け取り添え、長史長嶺通事親雲上持ち登り、日張主取伊是名親雲上取り次ぎ差し出し候に付き、見届け、評定處に於いて焼き収め申すべき旨、口上にて御書院当与那覇親雲上取り次ぎ上聞に達し相い済み候に付き、御印御判切り取り焼き収めさせ、毘紙は久米へ差し返させ候事。但、御印御判数の書き付け、心得られ当まで相い渡し候。(「琉球王国評定所文書・第一巻」四六三「接貢船帰帆日記」の「読み下し」)
○「歴代寶案」の例
@「據稱、執照係都通事魏晋收執随船無従抄ク、  合將符文抄白參張呈送」(「歴代寳案」五五六〇)
@「稱に據れば、執照は都通事魏晋が[來fした船は帰国し
同じその船 受けとって保管   うつしてさしだ よ てしまったので]随船に收執 したりて、抄ク すに従
よろ うつし
る無ければ、合しく符文の抄白參張を將って呈送したるものに係れり」
◎「執照」は「執」を略して「照」と表記して「執照」を表わすことがある。(参照:抄照)
  冊照存   (「歴代寳案」一六〇四)
抄照冊存送 (「歴代寳案」一六〇四)
冊抄白執照存 (「歴代寳案」五七七〇)
冊抄照存送 (「歴代寶案」五五二五)
冊存送執照存 (「歴代寶案」五六〇〇)
冊符文執照存送 (「歴代寶案」五六九八)
冊抄白文照存送 (「歴代寶案」五六三八)
A「臣、行査貢物人數、與該國印信執照相符、倶 発館驛、安挿宴待」(「歴代寶案」三五八)
申し送 しらべ
A「臣、行 りて貢物・人数を査 せしめたるに、
あ 合致 琉球館 おく
該國の印信執照と相い符したれば、倶に驛館に発り安挿して宴待したり」