摺匣  参照:報匣
○地方官として赴任する知府以上の官吏は先ず宮中に招かれ、天子に謁見させられる。その際に天子は地方政治のやり方について懇切な注意を與え、以後私的に奏摺を天子に届けることを特許し、そのために摺匣と稱する文筥四個を與える。この筥は長さ八寸八分、幅四寸四分、高さ一寸五分で、外面に黄漆を塗り、内面に黄綾を張りつけてあり鍵がかかるようになっている。鍵は同じものを二個造りその一個は天子が持ち、他の一個は當人に與えられる。
 赴任した後該官吏は早速天子に對して到任の挨拶状を奏摺として奉らなければならぬが、その際に天子に引見された時の訓諭をそのまま復唱して、いつ迄も訓諭の旨に從って行動すべきことを誓わなければならない。この奏摺を先の摺匣に納め、鍵をかけ外部を嚴重に包装して北京に向けて發送する。この際に総督・巡撫だと驛遞を利用し、或は武官を派遣して上京させ、宮中の乾清門の入口にある奏事處に至って堂々と摺匣を提出することができる。然るに從来奏摺を上る權利のなかった布政司・按察司以下は特に私的の下僕なる家人を、なるべく目立たぬよう上京させ、天子が指定した大臣の家に至り、摺匣を提出して、それを天子に取次いで貰うのである。布政司以下は言わば総督・巡撫の屬官であるから、屬官が直接に天子と文通する權利が與えられたとなると、或は上官たる総督・巡撫がそれに気兼ねすることにならぬとも限らないから、それを慮っての心遣いである。
 天子の許に摺匣が届けられると、天子は自身の鍵で錠をあけて奏摺を取出して讀む。引見の際に下した訓諭の復唱が誤って書かれていると、\筆を用いて一々訂正し、天子の訓示はもっとよく覺えておけと諭し、別に要事があれば、奏摺の餘白に矢張り\筆で記入し、これを再び摺匣に納めて鍵を下し、今迄と逆の順序で発送人に返却する。この臣下から奉った奏摺に對し天子が\で書きこんだ部分が即ち\批諭旨なのである。これは言わば奏摺に對する天子の返書とも言うべきものである。
 \批をつけて返却された奏摺を受取った當人は謹んで拝讀した上、再びこれを摺匣に納めて天子の手許に送り返さなければならない。このような天子と官僚個人との文通は絶対秘密に行うことを要し、官吏は自己の上った奏摺の内容も、これに對して天子から與えられた\批諭旨の内容も、絶対に他人に洩らしてはならない。またその内容を筆記しておくことも許されない。それのみでなく、総督・巡撫以外の官吏は自己が天子に奏摺を奉ることを許されている事實すらも公表してはならないのである。
 摺匣を四個與えられている理由は、それが任地と北京との間を絶えず往復すべきことが豫想されるからである。これ以後、任地における該官吏はその管内における民政あるいは軍事等について細大洩らさず、實情を天子に報告しなければならない。(『雍正時代の研究』「雍正\批諭旨解題」)