上諭档
○諭・旨・寄信の原本を抄録した档冊には、上諭档(簿)・寄進档があり、また諭旨彙奏という摺
本式彙鈔もある。現存する上諭档には康熈・雍正時代のものはわずか数冊であるが、乾隆時代から宣統時代までのものは比較的完全に纏め収められている。諭旨彙奏は、雍正十八年八月から宣統三年十月までのものである。一般に内閣より通達された上諭は毎月一回(初期は十日毎に一回)摺子としてまとめ抄録し皇帝に報告した。その目的は内閣官吏の不正を防ぐことにある。このように諭旨をまとめて抄録する制度が徹底していたので、系統的に整った上諭・寄進・諭旨・諭旨彙奏等の档案が形成されるようになったのである。これは清朝が行政を進めるにあたって参考となったばかりでなく、會典・部院則例・起居注冊・実録・聖
訓・各種の方略・志書等を編集するにおいても極めてまとまった档案史料を提供している。
○中琉関係を見ると上諭・寄進・上諭档・寄信档には琉球国の進貢・冊封・遭難救援・入監読書及び琉球入貢の迎接・請封使臣の進京等に関して下された上諭・寄信を見いだすことができる。
(「歴代寶案研究第2号」「明清档案と中琉関係史料の構成について」)
○档案の名稱。清代の軍機処の档冊にして、清廷
うつし あつ
が発する所の”上諭”の 抄 を 匯めたものにして、
およ
雍正年間より宣統三年(一九一一)に迄ぶなり。
こ よ
這此の上諭は均しく軍機処に由って起草し、分け
つまびらか
て明発上諭と廷寄上諭との両種(”上諭”に詳
なり。 命令を発 お よ
    )は、下発する前に在いて、軍機処に由って
べつ 記録  一  部  保管
ネに録して、一 yは存档し、底稿は即ちに焚毀を
保 管 一つにとじる行なうなり。存档の抄件は、毎月合訂  して冊と
な な もとづ
成し、稱して”現月档”と為す。現月档に根據い
べつ 一 部 作成
て毎年ネに一yの副本を修す。春・夏・秋・冬の四季に應じて分裝して冊を成し、稱して”四季档”
な  す い
と為す。現月档・四季档は統べて”上諭档”と稱
原文書 すで  あらた ある
う。上諭の原件は、凡そ經に朱筆もて改動め、或
(注一) まさ わた
いは圏点したる者は、例として應さに宮中に交し
かえ ゆう
回すべし。現に中国第一歴史档案館に収蔵して有
わた かえ 原文 これ
する二万余件の交し回された上諭の原件もまた之
な べつ
を稱して上諭档と為す。ネに内閣満票簽処には専門に皇帝が特に降した諭旨を抄録して形成したる格冊あり。雍正七年(一七二九)以前に在るもの

は、”上傳档”と稱い、以後は則ち”上傳簿”と
い ま い稱い、亦た”上諭档”と稱う。
(朱金甫)(「中国歴史大辭典・清史(上)二九頁、原中文)
 注一、圏点:詩や文を鑑賞あるいは手直しするとき、文句のすぐれたところに○ や・をつけること。(「中日大辭典」)