條旨
○條旨はまた「調旨」とも稱せられるものであって、中外の章奏に對する批答の原案を作成することである。蓋し、天子が内外の奏疏に對して一々適切に斷決指示することは実際容易なことではないので、内閣は下よりの奏疏を閲し、天子に代わってその批辭を立案し、それを小票に墨書し、各章疏の上に貼して前持って進呈する。乃ち天子はこの條旨に依拠して批答を下すのである。(明代) (『東洋史研究第二十巻』「明代の内閣」)
○条旨とは各機関から提出された上奏文に貼りつけた内閣の意見書をいい、票擬とは上奏事項についてくだした決裁の原案である。がんらい絶対帝政下では、すべての決裁は皇帝みずからがくだすたてまえであり、そのことから上奏文にもいちいち皇帝が自分で可否あるいは再調査すべきことなどを書類に朱書きするのである。これを「批答」というのであるが、条旨は皇帝が判断する場合の参考にされ、票擬は批答の原案になる。内閣をはじめた永楽帝のときには、まだこの制は行われなかった。内閣が票擬を行い政治の事実上の決裁権が内閣に移ったのは宣宗朝になってからである。
(『世界の歴史』「明と清」一〇二から一〇四摘要)
○批答の実際は、原案をそのまま機械的に書類の中に写し直す作業にすぎない。宣宗が、この味けない重労働から逃れるために思いついた方法が、官宦書記の登用であった。まず、批答すべき書類のうちはじめの二、三を皇帝みずから筆をとり、あとはすべてかれに命じて手分けして票擬の文を書類に清書させた。
 そしてこのやり方を急激に制度化した。すなわち、陰の内閣ともいうべき中枢機関を司礼監といい、その長官を掌印太監、その下に秉筆、随堂太
監が数名いた。後者の筆頭が、秘密情報局である東廠の長官となった。これがいわゆる陰の内閣といわれるものの構成員である。また、表の内閣が外廷の文淵閣におかれたのにたいし、この陰の内閣は内廷の協恭堂で執務した。その位置は乾清門の前面にあたる。
 表の内閣が提出した票擬に疑義あるいは別の意見があるときは、掌印太監と東厰の太監が協議して修正案をつくり、票擬の上にそれを貼付する定めであった。これを「搭票」という。
(『世界の歴史』「明と清」一〇九〜110摘要)