聖諭
○シナの政治は父の子に対する、また子の父に対する義務の上に全的に繰り広げられている。皇帝は全国民から父と呼ばれる。知事はかれの管轄す
まち
る市の父である。一方かれらは自分の上司を父の名で呼ぶ。政治ならびに礼儀のきまりはきわめて単純なこの一般原理の上に基礎をおろしている。毎月の一日ならびに十五日には役人たちは仰々し
(注九)
く一所に集合し、民衆に対する長い教訓を読む。この行事は国の法規によって定められている。長官はこの行事において家族を教え導く父の役目を勤める。父という名は父がたのおじの名につなぎ合わされている(伯)。長兄は父の財産をたとえ少しも相続しなくても、弟たちを養育し、かれら各人に嫁を買ってやる義務があるのである。
[注九][康熈]九年、皇帝は民の生活規範とすべき 十六条の「聖諭」をだした。雍正がこれ に詳細な注釈を加えたのが「聖諭広訓」 である。康熈時代にはこの十六条の「聖 諭」がいわゆる郷約の中心綱領として月 の朔望両日に約正の手で講読が行なわれ た(和田清『支那地方自治発達史』昭和 十四年、中華民国法制研究会一五一〜二 ページ参照)
(「イエズス会士中国書簡集4・社会編」八九備考一、『東洋文庫・平凡社』)