奏摺
○官僚には官僚の體制があって上下の系統が一絲亂れざる秩序を保っていなけらばならない。ところで雍正帝が地方の総督・巡撫の属員たる布按二司、道員知府を自己に直属させ、奏摺を上らせることになると、それが官僚組織の體系を紊乱する結果を招かないとも限らない。この點については雍正帝は細心の注意を拂うことを忘れなかった。されば、総督・巡撫は使者を北京に派し、乾清門に至って奏摺を奏事人に提出して天子の許へ届けるのであるが、二司道府は私人を派して北京に至り怡親王或は内閣大學士張廷玉、蒋廷錫等に頼んで密かに轉遞すべきを命じた。嘗て湖南辰竃道の王柔が齎摺の使者が途中にて盗却に遇ったことを理由とし、使者をして驛傳を利用し、途中を保護せしめられたいと上奏し、また布政司給g圖の家人が宮門に至って奏摺を呈出したのに對し、雍正帝の\批は
  汝がこの奏は不通の至りなり。道府等の員は  乃ち小臣に係り品級卑微にして奏對の分なき  なり。朕は聞見を廣めんと欲するに因り摺を 具して密奏せしむるを許すも、不時に汝等を 戒諭して張揚洩露し、福を作して以て上司を 挾制し同僚を凌駕するを得るなからしむ。今 もし諭旨を明降し微員下吏の家丁差役を以て 概ね驛官をして査驗し兵を撥して防護せしめ んとすれば、殊に封章絡繹、道路紛傳するを 覺ゆ。何の禮體をなさんや。たとい督撫が摺 奏を齎進するにも亦未だ曾て是の如く事を行 うことあらず。兩司の奏摺の京に至るものも みな廷臣をして代轉せしめ、徑ちに宮門に至 ることを許さざるなり。況や汝等末職をや   (第七十冊、王柔)
  朕意うに汝等藩司をして若し明らかに奏摺を 上らしめば未だ物議を免れず。一省の事權專  らならずして兩三巡撫あるの嫌あらん。故に  前に汝に諭して奏摺を以て怡親王に交して代っ  て轉奏をなさしめたり。今爾に家人、何すれ  ぞ竟に直ちに宮門に詣りて摺を進めしや。
  (第十五冊、給g圖)
 されば兩司以下は特に秘密に奏摺を天子に上ることを許されたので、公式の文書は必ず総督・巡撫に上申し、総督・巡撫の名を以て中央政府を通じて天子に題達するの外なかった。但し総督・巡撫は奏摺と題本とを以て上奏する權利があるので、案件の性質によって兩者を使い分けなければならなかったのである。前述の如く奏摺は官吏個人としての行動であり、題本は総督・巡撫が公人としての行為である。故に軍事、中央財政、禮制、重大司法事件、制度の改廃、その他先例によって定められてある行政事務は凡て題本の形式によるべきであった。総督・巡撫はこの區別をよくわきまえて、間違いないように使い分けなければならなかったが、細かい所へ行くとその區別は甚だ困難なものであったようである。
 直隷総督李衛は雍正帝から最も厚い信任を受けた大吏であるが、嘗て管内の人民魏象樞・魏裔介の子孫から、祖先に賜わった榮典についての謝恩を取り次ぐことを頼まれた時に、題本を用いて奏謝したところが、通政司から、こういう際には奏摺を用うべきであるのに誤って題本を用いたのは不行届きであると弾劾された。そこで今度は李衛自身が雍正帝から聖祖文集を恩賜されたので、題本を用いずに奏摺を用いて恩を謝したところ、今度はまた通政司から、題本を用いて奏謝しなかった點を指摘参劾された。李衛は困って雍正帝へ別の奏摺の中でこの點を陳謝しているが、それに對する天子の\批は、
  奏本と題本とは條貫は分かれて二となると雖  も原と大いに相懸殊するものにはあらず。汝  等封疆の諸臣をして清朝に文書を檢點せしむ  るの意を寓するに過ぎず。汝資歴の深きを以  てしてなお程式を諳悉する能わず。其他の服  官して未だ久しからざる者は錯謬を免れざる  こと多きは宜なるかな。然れども朕はこれに  よりて毎に、例に依りて處分することをなさ  しめざるなり(第八十二冊李衛六)
 これによると地方総督中の最古参たる李衛でさえも、題本と奏摺との使いわけを誤ったというから、如何にその區別がむつかしかったかが分る。この李衛がもう一つ奏摺で味噌をつけたのは、元来奏摺は私的な書簡であるから、別に定まった體裁が不必要なのに、彼は題本の形式がそのまま奏摺の形式であると思いこんで、曾て「臣の奏摺は、禮部から頒たれた定式を遵奉して書いた」と奏上したところ、雍正帝から、
  部頒の式様字数なるものは、專ら題達の本章
の爲に言うものに係る。密摺とは關するなき なり(第七十七冊、李衛)
   と諭されたことである。そして、こういう八釜しい有職故實は獨裁君主が臣下を駕御するための一つの武器でもあったのである。奏摺には程式がないと雍正帝自ら言いながら、その取り扱いは矢張り丁重にしなければならならった。奏摺には奏事摺と請安摺の別があることを前に述べたが、この區別を等閑にしてはならない。
  汝はこの奏事摺を以て請安函に附し、函面に  は奏摺二件と標題せり。また禮體に達せずと  言うべく、不敬の至りなり。
(第九十六冊趙國麟)
 この請安摺は祝賀或いは季節見舞いの礼儀のためであるから、地方官僚はこれを丁重にするために黄綾を用いたが、すると雍正帝は反ってそれを不経済だとし、奏事摺と同じく白紙を用いしめた。
  請安摺に綾絹を用いて面表となすは、汝等丁  重の意にしてなお可なり。奏事摺面に至るま  で概ね綾を用いるは、物力艱難、殊に惜しむ  べしとなす。以後は素紙を改用して可也。
(第十三冊、黄國材)
  嗣後の奏摺は必ずしも一摺毎に一封套にせざ  れ。兩三摺を併封して可なり。請安摺も舊奏  事の如く宜しく素紙を用うべし。綾絹は殊に  惜しむべしとなす。
(第十三冊傳泰)
 概して言えば、題本の内容は公表された表向きの政治であり、奏摺のそれは封鎖された裏口の政治である。故に奏摺の中ではたとえ拙い事を上奏しても、天子はそれを不問に附することが出来る。
  此事を爾は幸にして摺を以て密奏せり。因て  筆に随って批諭し、以て朕が意を示せり。若  し具疏して題達せしに係れば、妄言の罪、爾  のために實にせざりしならん(第十六冊李=j
この事もし或いは具疏題奏せしならば、天下  の人は傳えて笑柄となせしならん。汝は實は  憐れむべきの封疆大吏に屬す。(第二十冊、  傳泰)
 そこで若し地方官が奏摺で申し述べた意見に天子が賛成して、之を表向きに天下に實施しようとする時には、同じ趣旨を改めて題本として上せる。或いはその手数を省いて、天子がその奏摺をそのまま題本として扱うように内閣へ迴送することすらある。
  この摺に照依して具本具奏せよ。例に合せざ るの縁由を以て、題本内にて聲明すれば可な  り。(第六十五冊、高其位)
奏せし所甚だ嘉すべきに属す。別疏具題する  を庸うるなし。即ちこの摺を以て部に交して  本に改めしめ、諭旨を頒發せり。
(第六十三冊 田文鏡)
 同じことを世宗聖訓巻七、聖治、雍正八年七月甲戌の上諭に
  各省督撫大臣は本章(題本)の外において具  摺の例あり。また思うに、督撫一人耳目限り  あり。各省の事あに督撫の知るに及ばず、肯  て言わざる所の者ならんや、と。是において  また提鎭藩~に具摺奏事を准す旨あり。或い  は道員武弁等にも間々これあり。此は公聽並  觀して外間の情形を周知せんと欲するに非ざ  るはなきのみ。並に奏摺を以て本章に代うる  に非ず。凡そ摺中奏する所の事、若し行うべ  きの事に属すれば、是に奏摺を以て申呈する  の時、朕その確然行うべき者を見て直ちに該  部に批發して施行せしめ、若し疑似の間に介  在するならば、廷臣に交與して査議せしむ。  また督撫の奏する所にして、批して具本(題  奏)せしむるものあり。亦藩~等の奏する所  にして批して督撫に轉詳せしむ者あり(中略)  凡督撫たる者、\批を奉到するの後、若し之  を施行に現わさんと欲すれば、自ら當に別に  具本を行い、或いは部に咨して定奪すべし。  藩~たる者は應さに督撫に詳明し、督撫より  具題或いは咨部するを待ちて後に之を施行に  現わすべきなり(中略)。朕が督撫に批諭す  るの事は、本章(題本)中に引用して以て部  臣を挾制するの漸を開くを准さざるなり。則  ち奏摺の據りて定案となすべからざるは、又  何ぞ言うを待たんや。
 とあって、これでいよいよ奏摺と題本との區別が判然とする。
 このように雍正帝が一方では総督・巡撫の公的な地位を尊重し、題本と奏摺との區別に對する従来の慣習法を恪遵しながら、一方に彼等の属員たる布按兩司以下と直接に文通する奏摺政治を始めたのは一見矛盾するかのようにも見える。併し、雍正帝の眞意は、奏摺を上らせることによって人物を甄別し淘汰しつつ、彼等の朋黨化、封建化を防ぎながら、題本政治を本来あるべき姿に復歸させていこうという試みとして理解さるべきであろう。彼にあっては奏摺政治は飽迄權宜の手段であり、祖宗以来の題本政治こそ究極の理想であったのである。(『雍正時代の研究』「雍正\批諭旨解題」)
○総督と巡撫は天子から地方に派遣されたその管内の省の政治の最高責任者であって、彼等は地方の事務に關して天子に報告を行い、或は指令を求めることが許されているが、これには二様の形式があった。一は題本(また本章)と言い、言わば公的な文書であるが、一は奏摺と言い、私的な文書である。
 題本は総督・巡撫が省の長官として、公務をもって天子に送る文書である。そこで題本には官印を捺して公人たる資格を明らかにする。この文書は驛遞によって北京へ運ばれ、通政司という官衙を經て内閣に送られる。内閣はその文書の副本を手許に留めおき、正本を天子の手許に届ける。天子は内閣大學士を宮中に招いてその意見を聞きながら、文書の處置を定め、夫々の事件に裁決を與える。この決定は夫々の性質に應じて六部はじめ關係衙門の意見を徴した上で行われるが、決定した上は擔當各部から地方総督・巡撫の許に通知され、総督・巡撫から末端官廳へ轉達されるのである。これらの往復は凡て公文書で行われ、特にこのように総督・巡撫から題本によって内閣を通して天子に報告さるべき事件は題達事件と名づけられる。財政・司法・行政に關して依るべき法律や先例があって、それに從って處置することのできる事件は概ね題達事件に属する。
 然るに総督・巡撫はこの外に言わば私的に、個人として天子に文書を提出することができ、これを奏摺という。それは時には任地へ到着した報告書であったり、年賀や時候の見舞いであったりして、これを請安摺と言い、或は極めて秘密を要する事件の内報であったりして、これを奏事摺と稱するが、何れも中央政府の官吏に知らせる必要がなく、又は知らせてはならない事柄で、單に天子だけに見て貰えば良い文書である。從ってこの奏摺は言わば総督・巡撫から天子に宛てた親展状とも言うべく、これには官印を捺す必要がない。
(『雍正時代の研究』「雍正\批諭旨解題」)
○[奏摺を介して行なわれる]天子と官僚個人との文通は絶対秘密に行うことを要し、官吏は自己の上った奏摺の内容も、これに對して天子から與えられた\批諭旨の内容も、絶対に他人に洩らしてはならない。またその内容を筆記しておくことも許されない。それのみでなく、総督・巡撫以外の官吏は自己が天子に奏摺を奉ることを許されている事實すらも公表してはならないのである。(参照:摺匣)
(『雍正時代の研究』「雍正\批諭旨解題」)
○奏摺の別称を奏帖という。(参照:奏帖)