總理事務大臣
○輔政者というのは皇帝の幼児だけに設けられるものであるが、乾隆帝は即位した際、自分はまだ単独で統治するには若すぎると考えて、四名の輔政者を任命した。しかし、かれらに授けた権威は皇帝がこれだけでいいだろうと思った範囲に止められた。(原注)雍正十三年八月己丑、乾隆は先帝の遺命により莊親王允禄、果親王允礼、大学士鄂爾泰、大学士張廷玉に輔政を命じたことが『大清高宗実録』巻一に見えている。四人は正式には總理事務大臣と呼ばれた。親王と大臣からなるので、総称する時には王大臣とされたが、ひとりの場合には總理事務莊親王という具合に呼ばれた。首席は莊親王であった。
(「イエズス会士中国書簡集3・乾隆編」五十頁注一六、『東洋文庫・平凡社』)