題奏文書
○明朝の題奏文書には、題本・奏本・啓本・表・箋・講章・書状・文冊・掲帖・制対・露布・訳等がある。その内、題本・奏本・啓本・掲帖は比較的頻繁に広範囲に使用されている。表・箋は、主に元旦・冬至・皇帝誕生日の三大儀式及び朝廷が祝賀式典を挙げる場合に使用される。講章は皇帝が経筵にて経書を解釈する場合に使用される。書状・文冊は題本に付いている別紙であり、制対は、試験の時に用いられたり或は臣下が皇帝の質問に回答する場合に使用され、露布は軍事関係を報告する場合に使用され、訳は外国の文書を翻訳する場合に使用されるものである。[参照:明代文書档案]
 清朝の題奏文は、名称・種類・様式・用語及び文書礼儀に関しては、いずれも明朝の制度をそのまま採用したが、康熈の中期になると密奏制度なるものを施行している。この制度は皇帝の少数の
側近が自ら書いた小奏摺を請安摺に附して共に皇帝に上呈することを可能にした。これらの小奏摺は特別配達人或は家人を通して上呈され、皇帝は自ら小奏摺に指示を与えた後、これらを官吏本人に返還する。康熈五十一年前後になると中央と地方の高級官吏が奏摺を上呈することも許されるようになった。雍正・乾隆時代に入ってからは、官吏が奏摺を用いて上奏することはさらに提唱され、完備した奏摺制度が形成されるようになった。雍正年間から\批奏摺返還制度と抄録副本制度が実施され、これにより、系統的に完備された\批奏摺文書と録副奏摺文書ができあがっていた。
(「歴代寶案研究第2号」「明清档案と中琉関係史料の構成について」)
○巡撫とかその他の大官がなんらかの件について上奏文を奉呈しながら、文字を間違えたり、数語を書きもらしたり、不都合ないしあいまいな言葉遣いをしたり、自己の言おうと欲するところがあまりはっきりと表わされていなかったりした場合には、皇帝はこの上奏文をこういった怠慢を審査することになっている一官署に送り届けます。この官署はそれを取り調べ判断をくだし、その判決を皇帝に届けます。この判決は普通法律に従ってこの巡撫に三か月、時には六か月の減俸を申し渡すことになっています。皇帝はこの判決文に断乎として「朕はこの決定を承認する」と書き加えるか、または、「朕はかれに恩恵を与え、このたびは減俸は行なわないことにするが、かれにその上奏文を送り返して、今後一層注意深く行動させるようにする」というかします。
(「イエズス会士中国書簡集4・社会編」第九書簡、『東洋文庫・平凡社』)