題本
群臣百官
○明清時代、臣工が皇帝に向かって政務を報告す

る文書の一つなり。題本にて上奏文書を作為したるは、明代に始まれり。明初、臣民が事を言うに

只だ奏本を用いるのみ。永楽二十二年(一四二四)規定
対面して陳奏
して、諸司急切なる機務にして面陳 するあたわ
したため
ざるもの有らば、題本を具 て投進するを許す。
このよう
這様に題本、奏本は并び行なわれ、并びに一歩進
範 囲
んで題奏本章の使用の界限を規定せり。凡そ京内
すべて外の各衙門、一應  公事は題本を用い、凡そ官員の私事は奏本を用ふるなり。
い  た な
 清朝に到了って、臣工の奏事は仍ほ公は題し、
私は奏する制度を沿用せり。但だ、当時の官員は
はなは がた も
公私の事務に対しては、很 だ区分し難く以って上奏文書は往々にして、用って錯を致せり。
 此れが爲め、乾隆帝は一七四八年、曾って令を下して、奏本を使用することを停止せり。
このよう な
 這様に、題本にて政府の主要公文を作為すこと
連 続
は、一直に四百七十多年に通行せり。
い  た
 清末に到了って、”簡速易覧”の奏摺が普遍に

使用されるに由り、清政府は題本の”繁複遅緩”
お  も 名目 な
なるに於いて、庶政を整頓するを以って名と爲し

光緒二十七年(一九〇一)に於いて、題本を廃止

するを決定し、奏摺に改用し、”以って簡易に歸せしめたり”
様 式
 明清両代の題本の款式の基本は相い同じなり。
 折り本題本の外形は紙を用いたる折子と爲す。毎幅六行、毎行二十字、擡頭二字、平写十八字。首幅の上方
書写 こ
正中に一つの「題」の字を写し、是れは本面と爲
はじ はじめ
す。第二幅自り起めて正文を爲す。首 は具題者の
つづ 報告
官銜姓名及題報の事由を書す。接いて、報する所
叙述 文  末
の事情の縁起、情節及び処理の意見を叙す。文尾

は”謹題請旨”或いは”謹題奏聞”を以って結束す。末幅の正中には具題の年月日、月日の下には
書きつらね具題者の官銜姓名を列写す。封面及び文尾には官
押  印印を加蓋せり。
 題本の文字は、詳明にして暢達[流暢で行き届いている]な
しかし よ
ることを要求されたが、但、字数を限らざるに由
も いよいよもって
り、以って文字は越来越として長くなる所となれ
隆 盛
り。明代、奏章の沈濫は、萬暦、天啓に到りて極点に達せり。崇禎帝の即位後、内閣に命じて貼黄
様  式 題本
の式様を作らせ、進本の官員をして自ら本中の大
つまみ取 題本の末尾 はりつけ
意を撮 り 、百字を過ぎずして、本 尾に粘附し
も 都合よく よ
て、以って皇帝の閲覧に便 せり。これに従り、
すなわち 発    生便、題本の貼黄制度を産生了せり。
才能と器量
 明清の両代、凡そ高級文武官員の才 具に、題奏
権  利
の権力を有するは、清代の総督・巡撫・將軍・都統及各部院の尚書・侍郎等の如し。少数ながら、
進言の責任 ま
言 責を負有するの科道官も也た具題して諌言すること可なり。
すべ
 凡そ地方官員の題本は須からく先に通政司に送り、[通政司によりて]点査・驗収すべし。同時に具題者は掲貼を備えて関係衙門に送るを要す。掲貼は題本

の抄件と爲す。内容は題本と相い同じなり。清代

に在いては、凡そ地方官員の通政司を通過して投

遞したる題本を通本と叫う。在京の各部・院・寺
ただち
・監衙門の題本は徑に内閣に送ること可なり。部

本と叫う。
すべ すで
 通本・部本を論ずることなく、都て、先に經に
上程
内閣の票擬するを要し、然る後、再び呈し、皇帝
とりもなおさずこれは
が裁定するなり。所謂、票擬とは就 是、内閣大学士の題本中の奏す所の事情に対して提出す

る処理の意見にして、小紙票上に写したるものな
この
り。這種の写には、批答の詞の小紙条が有りて、
い い
時に票旨と稱い、又た票簽と稱う。

書 式
 按ずるに、清朝の票擬の程式は、単簽、双簽、三簽、四簽の四種の類型に分けること可なるべし。
書きしたた
 所謂、単簽とは、即ち、一種の処理意見を擬具
め どちらともつかないこと わた
るものなり。凡そ、事が両可 に渉ること
すなわ 書きしたため
あらば、便ち、両種の処理意見を擬具 るなり。即ち双簽なり。凡そ関係する両請の事あらば、三
さだめしたため
種或いは四種の処理意見を擬 ること可なり。
さだめしたためおわり
即ち、三簽・四簽なり。票簽は擬好      て後、題本 へ
本中に夾みて進呈するなり。皇帝の裁定を經たる

後に、批本処と内閣に由って、皇帝認可の票簽の
とお そのとおり記録文字の照り、朱筆を用いて、本面の上に照録 す。
こ い
此れを批紅と稱う。批紅を経過したる題本を又た
い紅本と稱う。
 題本が皇帝の閲批を経過したる以後、内閣は即ちに六科に轉送し、六科より関係衙門に発抄して施行せしむるなり。紅本の発抄後は、六科によりて二通を別に録し、分別して冊を成す。一つは内
もの
閣に送り史官の記注に供する的にして、”史書”
い 保管
と叫う。一つは、本科に儲して以って編纂に備え
い ま い
るものにして、”録書”と稱う。(亦た録疏と稱う)
 凡そ題本の批紅の聖旨は、内閣の満漢の票簽処
もの 当  直 すべ 一件一件 あつ
の的は中書に当値して、都て逐件、抄を匯めて冊を成し、”王言絲の如し、其の出ずるもの綸の如し”の意を取りて”絲綸簿”と名づく。
こ もの も
 紅本は是れ六科の発抄したる件を以って施行す
もの 保管 年  末 お
る的で、原本は六科に存す。六科は年終に於いて、
あつめおく ことのほか
内閣に匯交 り、紅本庫に存す。ネ外、档案の遺失、人に纂改せらるるを防止する爲めに、清朝は雍正
ひじ さ
の時より起めて還らに副本制度を建立す。毎件、
すべ紅本は都て一つの副本に別録す。本章・正本の如
きは、紅字の批発に係り、副本は則ち批は墨筆に
突き合わせて調査する
して存案し以って日後の査対    の用に備う。
(『第二届中國琉球歴史関係研討會論文』「清代中琉関係文書研究」秦國經)
○題本トハ中外大官ヨリ皇帝ニ呈進スル文書ノ一種ニシテ部本ト通本トノ別アリ
 部本ハ六部及其他中央官廰ノ題本ニシテ直ニ内閣ニ送ル
 通本ハ各省総督・巡撫・學政・鹽政大臣・将軍・都統・提督等ノ題本ニシテ先ツ通政司ニ送リ通政司ヨリ更ニ内閣ニ交付スルモノトス(「清國行政法」)
○蓋シ雍正會典ノ編纂セラレタル當時ニ在リテハ上奏ニハ獨リ題本ヲ用イテ奏本ハ之ヲ用イザルナリ。(「清國行政法」)
○題本奏本ノ區別ハ乾隆年間ニ至リテ始メテ明確トナル(「清國行政法」)
○尋常事件ノ上奏には題本ヲ用イテ之ヲ具題ト謂フ(「清國行政法」)
○総督と巡撫は天子から地方に派遣されたその管内の省の政治の最高責任者であって、彼等は地方の事務に關して天子に報告を行い、或は指令を求めることが許されているが、これには二様の形式があった。一は題本(また本章)と言い、言わば公的な文書であるが、一は奏摺と言い、私的な文書である。
 題本は総督・巡撫が省の長官として、公務をもって天子に送る文書である。そこで題本には官印を捺して公人たる資格を明らかにする。この文書は驛遞によって北京へ運ばれ、通政司という官衙を經て内閣に送られる。内閣はその文書の副本を手許に留めおき、正本を天子の手許に届ける。天子は内閣大學士を宮中に招いてその意見を聞きながら、文書の處置を定め、夫々の事件に裁決を與える。この決定は夫々の性質に應じて六部はじめ關係衙門の意見を徴した上で行われるが、決定した上は擔當各部から地方総督・巡撫の許に通知され、総督・巡撫から末端官廳へ轉達されるのである。これらの往復は凡て公文書で行われ、特にこのように総督・巡撫から題本によって内閣を通して天子に報告さるべき事件は題達事件と名づけられる。財政・司法・行政に關して依るべき法律や先例があって、それに從って處置することのできる事件は概ね題達事件に属する。
 然るに総督・巡撫はこの外に言わば私的に、個人として天子に文書を提出することができ、これを奏摺という。それは時には任地へ到着した報告書であったり、年賀や時候の見舞いであったりして、これを請安摺と言い、或は極めて秘密を要する事件の内報であったりして、これを奏事摺と稱するが、何れも中央政府の官吏に知らせる必要がなく、又は知らせてはならない事柄で、單に天子だけに見て貰えば良い文書である。從ってこの奏摺は言わば総督・巡撫から天子に宛てた親展状と
も言うべく、これには官印を捺す必要がない。
(『雍正時代の研究』「雍正\批諭旨解題」)