朝賀
お うやうや
○貢使が京に在いて、恭 しく萬壽聖節・元旦・
あ ま あずか
冬至及び凡そ升殿するに遇へば、應さに朝賀に與
あらか 申し
るべし。豫 じめ鴻臚寺に行つけて貢使に演禮[定まっ
託して主管
た方式にのっとって儀式を執り行うこと]を傳へしむ。儀制司に付知

お およ
せしめて、禮節の本内に於いて聲明し、貢使曁び
いた
從官の末に詣らしめて、三跪九叩の禮を行なはし
いた うけと うかがひま
む。期に届れば領 りて貞度門に入り伺候 つ。凡
あず
そ貢使が已に朝賀に與かれば、奏明して其の召見
停止 も あず いた
を停す。如し未だ朝賀に與からざれば、回國に届
も ま も
るの時を將って應さに召見すべきや否やを將って、
あず具奏して旨を請ひ、如し已に朝賀に與かれば、而
前 例
して該の貢使は徃例を援引して、進見を呈請する
な うけ
なり。仍ほ呈を據とりて代奏して旨を請ふなり。
も 受け玉
如し、旨を奉 はりて、召見す、とあらば、欽天監
申しつ
に行 つけて日時を選擇せしめ、欽定を奏請するな
いた
り。期に届らば[禮部は]禮節を恭進し、内閣・起居注・侍衛所・内務府及び鑾儀衛・景運門・武備院・
申し送りて知 とも
鴻臚寺・欽天監に行 知らすと並に吏部・兵部を
取りつ
して文武大臣に轉 ぎ傳へしむ。
 至るの日に、禮部の堂官一人が、蠎袍[皇子・親王以下七品までの役人の着る礼服の長い衣服。龍の模様がはいっているので、このように呼ばれた。]に補服[明及ビ清代ニ於イテハ品官(位階ヲ有スル官吏)ニ對しては禮服ニ附スルニ一定ノ徽章ヲ以テセシム。例セバ文官ハ鳥ヲ以テシ武官ハ獸ヲ以テスルノ類、之ヲ稱シテ「補服」ト曰ヒ、略シテ「補」ト曰フ。 「中國法制大辭典」]したるをきて、貢使の其の國の朝服を服したるを、通事の補服したるをきた
まい うやうやしくまつ
るを率いて宮門外に詣りて祗候 す。
  皇帝は常服にて便殿[天子の休息所。正殿に対する別殿をいう。皇帝が休
おでましになる
憩したり、食事をとったりする宮殿]に御し 、御前大臣が侍衛内大臣・内大臣侍衛を領して左右に侍立す。
案内
 如し、常儀ならば、禮部の堂官が貢使を引して入れ、通事は随ひて入るなり。丹怐m宮殿の階を上りつめたところの朱塗りの回り廊下]の西に至らば、三跪九叩の禮を行な
おわ のぼ
ひ畢れば西階より升り、通事一員が從って升るなり。
ひざまず
  殿門の外に至れば、跪 き、皇帝が旨を降ろし
うけたまは つた
て慰問す。禮部の堂官が旨を承 りて、通事に傳
へし 奉 答
知らせ、貢使に轉諭す。貢使は奏對す。通事が言
おわ
を譯して、禮部の堂官が代わりて奏す。禮が畢れ
案内して退出
ば引 出す。
 如し朝鮮の貢使の君と稱する者及び琉球・越南の使臣の該の國王の兄弟・世子に係るものあらば、則ち待するに優禮を以てす。

 是の日、入班して侍立するの大臣は咸な蠎袍補
おわ
服す。貢使は丹怩ノ於いて禮を行なひ、畢れば西
のぼ
階を升り、殿の右門に入り、右翼大臣の末に立ち、
およ
坐を賜わり、茶を賜わる。入班の大臣曁び貢使は
み ひざまず
咸な跪 きて一叩の禮を行なひ、皇帝が旨を降ろ
おわ
して慰問すること儀の如し。禮が畢れば、禮部の
案内して 退出
堂官が貢使を引 出するなり。朝房に至りて、旨
うけたまは な はじ おわ
を承 りて貢使に尚ほ方めて飲食を賜わる。訖れ
それぞれ 退出
ば各 退す。
まい
 翌日、貢使は午門外に詣りて、恩を謝するの三跪九叩頭の禮を行なふなり。
うやうや
 凡そ貢使が京に至りて、恭 しく聖駕にて圓明
行幸 み
園及び南苑等處に幸するに遇へば、皆な貢使をし
あおぎみ
て道傍に於いて瞻覲せしむるなり。
おりよく
 若し熱河に駕幸して、而して貢使が適 至れば、
うけたまは旨を奉 りて、召して行在に至らしめよ、とありたれば、禮部の堂官により、該の貢使を帶領して
すすみおも
熱河に前赴 むきて、天顔を瞻仰せしむるなり。
 凡そ已に貢使の道傍にて瞻仰せしめらし者は、
停止
倶に其の召見を停するなり。
 國王の來朝の班位に至りては、謹しみて案ずるに、乾隆五十五年、安南國王の阮光平が親しく闕廷に詣り、萬壽を慶祝し、安南國王は、親王以下郡王以上の班次に於いて、一體に禮を行なひたることあり。(「欽定大清會典・巻三十九、主客清吏司」〇四〇九〜〇四一〇)