暢春園
○康熈帝の別莊である。(原注)暢春園は北京の
西北二ユリー(八キロ)のところにあったという。
(「イエズス会士中国書簡集4・社会編」二四二頁注一〇、『東洋文庫・平凡社』)
○康熈帝は北京の西北、西直門外に暢春園という別荘をもっていて、しばしばここを訪れた。雍正はこのそばに円明園という大園をこしらえた。かれは園内の正大光明殿・勤政殿等で毎年政務をみたので、歴代の皇帝はこれにならうようになった。乾隆帝はこれをさらに拡張し園の南に綺春園・東に長春園をこしらえたが、普通はこれらも円明園の中に含めて呼ばれる。イエズス会士は長春園の北辺にいわゆる西洋房子、すなわちヴエ ルサイユ宮殿にならった西洋式宮殿を建てるのに協力した。一六八〇年の英仏両軍の攻撃によって烏有となったことは有名であ[る]。
(「中国の医学と技術・イエズス会士中国書簡集」三五二頁注三)