廷寄
○軍機処に廷寄諭旨あり。凡そ機事の漏泄を慮り、發抄に便ならざる者は、則ち軍機大臣面承の後、撰擬して進呈し發出さるれば、即ち封して紙函に入れ、辧理軍機処の銀印を用ひて之をす。兵部
わた おく とも
に交し加封して驛に發り馳遞す。其の遅速は皆に軍機の司員によりて函外に判明す。馬上飛遞と曰
ふ者は日に行くこと三百里に過ぎず。緊急あれば
べつ
則ちネに日に行く里數を判す。或は四五百里、或は六百里。並びに六百里の快を加ふる者あり。即ち此の一事は已に前代の未だ有らざる所と為す。
おく
機事は必ず頒發して而して後、部に由って文を行
り則ち已に人口に傳播す。且つ驛遞が遅緩ならば、事を探る者は捷足を雇ひて驛遞に先んじて而して
とど
到けるべし。廷寄の例あるより、始めて密にして且つ速なり矣。此の例は雍正年間より始まる。其の格式は乃ち張文和の奏定する所なり。
保管 必要
 軍機の印は大内に存す。需用あらば則ち請ひて
返還
出だす。用の畢われば即ちク進するなり。兵を用
ゆきかふ
ふるより以来、軍報の旁午こと日に或は數起し、
しばしば しばしば 返還
屡 請ひ屡 クし難し。故に印を請ひて出すごとに則ち封函數百を就して以って時に随がひ取り
都合よく
て用ふるに便 するなり。而して封函は専員の收掌なく、狼藉、遺失を免れざれば、宜しく一員を
さらに
専派して月日數目を登記し、庶更に慎重にすべし。
(「和刻本漢籍随筆集」所載の「簷曝雜記」)
制度 へ しか
○清の制では、凡そ内閣の明發を経ずして、而し
も  よ
て軍機大臣の寄信の形式を以って軍機処に由って
もうしわた これ
兵部捷報処に交   して遞送せしむる上諭は之を寄
い ほか ままこれ い 出ず
信と謂い、外に間之を廷寄と謂うは、内廷より寄るの意なり。(朱金甫)(「中国歴史大辭典・清史(上)」一六三頁、原中文)