奴隷
ヌサイ ク ヌサイ
○奴才・狗奴才はひどい罵言の言葉でる。自分の子を売る一方、自分自身をも妻といっしょにきわめて取るに足らない値段で売るものもある。貧困と国民の数が多すぎるということがこういった法外の数の奴隷を生んでいるのである。ほとんどすべての下男および一般に家婢のすべてが奴隷である。召使としての一群をもっている省の大官が、かれ自身朝廷の貴族の奴隷であって、そのひとのために銀を集めているということもしばしばある。満州人の公子に身を売った有能なシナ人はのちには大官となることが確実である。かれは省の巡撫になり得るのである。もし皇帝から職を免じられると、かれは少なくともかれが望むある期間はかれの主人のところに戻って仕えるのである。富者は娘を結婚させる時に、自分たちの富の程度に応じて、一ないし多くの奴隷家族を娘に与える。奴隷に自由を与えたり身を贖うのを許したりすることは大変しばしばあることである。毎年ある額を支払うという条件のもとで、半ば自由にさせることもある。商売をやって金持ちになるものもいる。
主人は奴隷の財産を奪うことはない。立派な贈物を受け取ることで満足し、奴隷が名誉をもって生活することを許すが、かれらが身を贖うことには同意しない。
 主人はかれの奴隷の娘を犯したということが裁判で実証されれば即座に失脚し、財を失う。
 どういう点からも信用ができる、そして主人に対して侵すことのできない愛情をもつ奴隷がいる。こうなると主人は奴隷を自分の子供のように扱う。ある大人が宣教師のひとりにこういった。奴隷の生命の鍵は主人が握っているのであるから、重要な件を委任できるのはかれらだけである、と。
(イエズス会士中国書簡集4・社会編」八六頁一・二・三、『東洋文庫・平凡社』)