唐物方
○支那貿易品の専売
 琉球の支那貿易品のうちには、薩摩藩の命で専売制度の下におかれたものがあった。嘉慶二十四年(例寄八集巻七)に唐物方より公儀にて売るから私有してはならないといふて発売を禁止された品物は、虫糸・萌砂・桂皮・厚朴などで、その外にも薄紙・五色唐紙・鉛(?)・羊毛織・丹通・狸燕脂(猖燕脂又は正延紫とも書いた)、花紺青の十二品とある。これが取締まりに任ずる薩摩の唐物方の役人は、在番奉行と同一の待遇を受けるという令達がある位だから、当時貿易を主眼とした琉薩関係が推察されるであろう。その後御国許御用品十二種の外、左の二種が追加せられ、右品を長崎表へ差回す云々といふことが書かれて居る。即ち
  ト瑁 但鼈甲同爪の事
白手龍脳 但常の龍脳の事
とあって、当時の貿易品のうちで利潤が多く、且つ売上げ上景気の好いものは専売品にされたものだから、その追加や変更が屡々あったやうである。
朱粉、唐物方に取締まり云云の件が道光三年(例寄八集巻九)に出て居るのもその消息を語るものである。(「真境名安興全集・第三巻」六十五頁〜六十六「笑古漫筆」)