飛舟
○支那への飛船
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○沖縄では往時本土や支那への航海はそれぞれ季節があって、それ以外には国家の大事変のある場合に、決死隊を募って小舟を組合わせ、風の順逆に拘はらず島伝ひ浦伝ひで航行させたものである。
とびふね
これを飛船と称して本土へは時々遣はされたのであるが、例寄八集巻三十によると、支那からも亦飛船の派遣があったものと見えて、その顛末が報
ぞうさ とり
ぜられている。殊にこれは「自分造作を以、船取
 しだし
仕出御用相弁云々」とあるからその費用も自腹を切って国家の急用に応じたのである。その航路は、  四月十九日、五虎門発、八重山汐掛(寄港)
  五月十一日、那覇著、入目料八貫目余(銀)
とある。例規によると、斯やうな飛船の決死隊は、事件終了後に行賞されることになってゐるので、志望者も多かったやうである。
(「真境名安興全集、第三巻」六十四頁「笑古漫筆」)