内務府
○乃ち其の表奏を進む。(貢使が京に至らば、先
お およ それぞれ
に禮部に於いて表を進む。貢使曁び從官は各 本
四譯館 禮部 のぼ
國の朝服を服し、館より部に赴き、階を升り皆な
ひざまず
跪 けり。正使は表を奉じて會同四譯館卿に授け、
取りつ
[會同四譯館卿が]轉 ひで禮部堂官に授く。正使以下、三跪九叩頭の禮を行なひ、儀制司官が表を奉じて退
提出   おくりわた も
く。次の日に奏を具 して内閣に送交 す。如し、金葉表に係らば、内閣によりて収受して後、即ち
も 提出 禮部 よ
に上届の進む所の者を將って交出し、部に由り内
おくりわた
務府に送交 す。如し貢使の呈明して、國王の命を

奉けて表文・方物をばそれ親しく獻ぜんことを願
ふ者あらば、旨を得て、其の親しく獻ずることを
ゆる とりつ とも准さるれば、[禮部は]轉 ひで貢使に知らすと並に該の國王に知照するなり。)
(「欽定大清會典」巻三十九・主客清吏司〇四〇八頁)
○貢物が京に至らば、會同四譯館卿によりて査驗し、常貢及び慶賀の貢物をば題請して収受するを
のぞ ほか除くの外、其の謝恩及び陳奏して進む所の方物は、禮部 よ ま あるい部に由りて、應さに収受し、或 は留めて下次の正
あ も
貢に抵てるべきや否やを將って具題して旨を請ひ、
も 受け玉 あ
如し旨を奉 はりて留めて下次の正貢に抵てるべし
もっ  わた 保  管
とあらば、則ち貢物を以て内務府に交して存儲せし
ま あ 題 本 内
め、應さに貢すべきに届たるの時、本 内に於いて聲明して、[前回内務府に存儲して留めて下次の正貢に抵てることになっている貢物を
あ ゆる應貢の時の正貢に]抵てることを准さるれば、[留めて下次正貢に抵て
不   足   分 あて み
られた貢物をもって應貢の時の貢物の]盡さざる者を抵充たし、[その餘
な 申し送りて知
は]再び下次に移入す。仍ほ該の國王に行 知らすべし。・・・中略・・・・・・
あらか 保管
 琉球の貢す所の硫黄は、豫 じめ福建の藩庫に儲

し、該の督撫に知照して、工部の應さに用ふべき
お ま
時に於いて取用するを聽たしむなり。・・・
・・・・中略・・・・
 凡そ各國の方物は題准して収受するの後、金寶
わた わた
器幣は内務府に交し、象は鑾儀衛に交し、馬は上
わた わた
駟院に交し、腰刀・鹿皮・青黍皮等は武備院に交すなり。・・・・中略・・・
  琉球の正貢は硫黄一萬二千六百斤、紅銅三千斤、
いた白剛錫一千斤なり。届る毎の慶賀・表賀及び謝恩
もっ
の進貢は、皆な方物を以てするも定額なし。該の國王は請ふに陪臣子弟の入監読書を以てせんが、
受け玉 ゆる旨を奉 はりて恩もて准さるるの後に、該の國は常
ほか お
貢の外に於いて圍屏紙三千張、蕉布五十疋を加進
うやうや
し、學成り歸國すれば、恭 しく謝恩の方物・圍屏紙五千張・蕉布一百疋をすすむるなり。
(「欽定大清會典・巻三十九、主客清吏司」〇四〇八)
○内務府は宗人府とともに帝室に関係する一切の事務を管理するところで、日本の宮内庁のようなものである。内務府總管大臣は内務府の長官であるが、特別任命で定員がなかった。大臣は毎日ひとりずつ宮中につめ、行幸の時は随行した。
(「イエズス会士中国書簡集2・雍正編」五八頁四三、『東洋文庫・平凡社』)
○清朝では軍機処や内閣で処理される中外関係の奏摺及び関連する諭旨と寄信等は、すべて抄録し内務府に通知する。というのは各国進貢物はいずれも礼部から通知を受けた内務府が受け入れ管理するからである。つまり外国国王或いは進貢使節及び随行者への賞賜品も内務府が準備し、使節の招待、各宮殿や庭へ案内したり、皇帝謁見の手筈を調えるのも、全部内務府の仕事であるからである。従って、内務府の奏摺文書档冊には、大量の中外関係奏摺及び皇帝の諭旨が保存されているのである。(「「歴代寶案研究・第2号」「明清档案と中琉関係史料の構成について」
○内務府の武英殿修書處、養心殿造辧處などに勤務する役人が西洋人の面倒をみていたようである。
(「イエズス会士中国書簡集5・紀行編」三六九注六)