○琉球に漂着した朝鮮人の北京までの送還
 中国人あるいは、朝鮮人等の琉球への漂着者を原籍に送還する根拠は、康熈二十三年の「船隻の漂至するものがあったら收養して解送せよ」という趣旨の禮部咨にある。
 この送還の手続きを明らかにするのが本項の趣旨である。
 琉球の屬島に朝鮮人もしくは中国人が漂着したら、康熈二十三年の「船隻の漂至するものがあったら收養して解送せよ」という趣旨の禮部咨に基づき、公館に安挿して食糧、衣服等を与えて丁寧にもてなすとともに、若干の取り調べを行った上、進貢船あるいは接貢船に附搭してfまで送り届ける。
 fに到ると進貢使者あるいは接貢使者は、「漂流朝鮮人を送還するのでおとり図り願いたい」という趣旨の琉球國中山王からの咨文を福建等處承宣布政使司に提出する。
 福建等處承宣布政使司は、琉球からの右の咨文に「伏乞貴司轉詳督撫兩院解送赴京」とあるにもとづいて、督撫兩院に「轉詳」して、朝鮮人の解送赴京の件について「兩院」に要請するのである。
 右の要請を受けた福建巡撫は、彼らが本当に朝鮮人であるかを吟味し、朝鮮人であるという確証を得た上で、「彼らは朝鮮人であると、巡撫としては判断したが、その字跡を禮部に送付致しますから、譯して、もし朝鮮人であるとの禮部の判断
をまって、福州にくる皇帝が任命した差官の帰京のついでに附搭させて進京させるので、彼らが禮部に到ったら、禮部は高麗の進貢使者に文を送り、彼らを帶回せしめられるようにしていただきたい。禮部のご判断を賜りたい。」との趣の題を行なった。
 右の巡撫の題が提出され一定の手続きを経て、それが禮科より抄出されて禮部に到ったので、禮部は、「彼らが書いた字跡を見ると確かに朝鮮人である。従って、まさに、福建巡撫に朝鮮人へ口糧を給与せしめ京へ到らしめるべきであると行文すべきであり、そして、彼らが北京に到着したら、朝鮮人の進貢來使の帰国のついでに彼らを交与して帶回せしめるべきである」との趣の題覆をおこなった。
 右の禮部の[題覆」にたいして、「依議」(禮部の議したようにとりはからへ)との皇帝の裁可がくだった。
 それが禮科抄出され禮部に到ったので、禮部はこれを「咨文」にまとめて(咨文@)、福建巡撫に送る一方、又、漂流朝鮮人を北京まで送り届ける委員の選任等についての指示である「すみやかに賢能壹員を差わして、沿途気を付けて朝鮮人を伴送して來京させるようにしなさい。禮部は朝鮮人が京に到ってから、題するようにした。事は關要なものであるので、この咨文が到れば、ただちに、出発して來京せしめられたし」との趣旨の「咨文」(咨文A)を福建巡撫に送付したのである。 右の「咨文」受けとった巡撫は、右の「咨文@」を福建等處承宣布政使司に通知すべく送るとともに、「咨文A」にもとづき、「賢能官員を選任するように」福建等處承宣布政使司に命じたのである。
 巡撫から朝鮮人を北京まで伴送する委員の選任を命ぜられた福建等處承宣布政使司は、今度は、それより下級機関である福防廳に選任するよう命じた。その命を受けた福防廳は、永福縣際門巡檢嚴澄清が、その任に堪え得る者として委員に選任し、その結果を福建等處承宣布政使司に報告した。
 福防廳から委員を選任したとの通知を受けた福建等處承宣布政使司は、さらにまた、巡撫に「委員は選任したので、[禮部へあてた]咨文を給賜せられ福建等處承宣布政使司に發らば、それを委員たる嚴澄清に交付して持たせるようにしたい、そして、福建等處承宣布政使司はそれとは別に、委員が京より回省するために必要な証拠の記載された批廻
を給して委員たる嚴澄清に交付するとともに、巡

撫から發くられた咨文を交付して朝鮮人を北京禮部まで送り届けるようにしたいと存じます。」との趣の詳文を提出して、[禮部へ宛てたと考えられる]咨文を給するように願ったのである。
 右の福建等處承宣布政使司からの「委員を選任したこと及び咨を賜りたしとの詳文を受けとった巡撫は更に次の指示を福建等處承宣布政使司に出すのである。

 「咨文を給へるのを挨って、委官をして気を付けて北京まで朝鮮人を伴送せしめられたし。尚、出発から北京までの日程については詳文でもって報告せよ」と (以上[歴代寳案」)
 『この指示を受けた後、福建等處承宣布政使司は福州から北京までの「日程」を提出し、その一方で巡撫からの咨文が到るのを待ったと思量される。
 ところで、一方の巡撫は、福建等處承宣布政使司から送付された朝鮮人とその伴送人の福州・fから北京・禮部までの「日程」について具題して禮部に知らせたものと考える。また、この「日程」を受けとった禮部は、この「日程」をもとに沿途の各省に、いついつ朝鮮人とその伴送者の委員が訪れるのでそのおとりはからいについての連絡をしたと考えられる。
 そのような手続きをほぼ完了した時点で、福建等處承宣布政使司は要請した咨を巡撫から受けとって、それと、批廻とを委員たる嚴澄清に交付して福州・fを出発させたものと思量される。
 咨文と批廻とを福建等處承宣布政使司から受け取って漂流朝鮮人を引き連れて福州・fを出発したであろう漂流朝鮮人を伴送する委員である嚴澄清が、到京して、禮部に到って彼らを引き渡し、それとともに、巡撫からの咨文をも提出し、そしてその後、禮科に赴き、福建等處承宣布政使司発給の批廻に査覈してもらい、帰省し帰任報告を行い漂流朝鮮人護送の任を終えたものと思量される。
 一方、禮部に届けられた漂流朝鮮人は進貢してきた朝鮮の進貢使とともに帰国したものと考えられる。』(『     』は「清會典P四一一」の「貢使徃來皆護」の割註及び「批廻」の項をもとに、それらを漂流朝鮮人護送の委員にも援用して想定した部分である。
                 (「歴代寳案」P一五三七)(参照:「批廻」