布政司   [参照:咨文]
○大老爺=布政司(参照:柔遠驛)
○総督・巡撫の下にあって省の財政、駅伝などの行政を統轄する地方官庁。正しくは承宣布政使司といい、長官を布政使という。
(「清俗紀聞2」一四八〜一四九頁・『「東洋文庫・平凡社』)
○十月廿八日[同治四年一八六五年]
一、今日、例の通り阿口通事弐人・同筆者弐人・長班役壱人相い招き咨文兩通相い調へさせ、布政司への咨文、阿口通事にて差し上げさせ候事附、調へ方の砌、琉菓子馳走致し候事。
(「歴代寶案研究」第3・4合併号「勅使御迎大夫真栄里日記」の「読み下し」)
○琉球館の把門官(門番)詰所及河口通事公事所の普請についての要請書(参照:存留通事、柔遠驛)
つめしょ あ
○琉館屋把門官詰所、相い破られ候に付き、同所
まで ふ し ん
并びに阿口通事公事所迄も普 請仰せ付けられ候段、

存留普久嶺里之子親雲上より別紙の通り申し来し候間、此の段申し上げ候、以上。
 辰五月(甲辰:道光二十四年、一八四四)
    足長史
    奥間里之子親雲上
    長嶺通事親雲上
    百名親方
○上覧に備ふ。
琉館屋把門官詰所相い破られ候に付き、去去年よ
あ ご ざ なくそうろふ
り普請願い仕り候へどもお取り揚げ御座無候、去年に到りては、接貢船渡唐の上、把門官詰所崩落し、相公ども住居の所これ無き候に付き、此の節
かな
普請仰せ付けられず候ては叶はざる事にて把門官
まで
詰所并びに同所右表へ阿口通事公事所迄も普請仰せ付けられ候様、把門官より布政司・海防官へ普
よし
請願い申し出でられし由にて、琉球方へも願い奉
も たの
り候様、把門官より阿口通事を以ってお頼みこれあり候に付き、勢頭・大夫御案内の上、願い奉り
いよいよ それ
候処、弥 、願い通り相い済まし候段承り候。夫より把門官詰所普請取り付け、右表へ阿口通事公

事作り調へ候。入り目両銀の儀は、布政司より成
くだ よしうけたまわ もっと
し下さるる由承 り申し候。尤 も阿口通事所壱軒長さ五間・横弐間作り置き候次第、表御方へも
よろ よう  と はか おお くだ
宜しき様お取り計らい仰せあげられ下さるべく候。
さよう おこころえ と あ いた
左様 御心得られ、此の段お問合い致し候。以上。
 辰四月廿六日(甲辰:道光二十四年、一八四四)
普久嶺里之子親雲上[進貢存留通事金邦俊]
怱役
 長史
ふなじ ジエンハイ
○民商は、外国に通商する時、海路なれば船牌を
リンパイ(注一)
その地の知県へねがい出で領牌す。その船牌都合
ウーエン(注二) ブウチャウ ブウ
四枚あり。撫院より一枚、これを部照 という。布
チンスウ(注三) スウチャウ
政司より一枚、これを司照 という。知県より一枚、
ヒエンチャウ(注四) ハイバンテン(注五) テン
これを懸 照 という。海防庁より一枚、これを庁
チャウ しんこう ダンスイン照という。右四枚を持って津口〔港〕の塘ケ〔や
はい
くしょ〕へ至り、荷物のあらためならびに牌のあ

らためをも請くる。このとき塘ケよりその役所の
ヒエン は印を押したる紙を県牌ばかりに粘りてわたす。こ
クワアアウ
れを掛号という。
 注
一、領牌は牌(証明書)をいただくこと。
二、撫院は巡撫の役所のこと。なお部照の部は部院すなわち巡撫のこと。
 三、総督・巡撫の下にあって省の財政、駅伝などの行政を統轄する地方官庁。正しくは承宣布政使司といい、長官を布政使という。
 四、あとには縣牌とあり、縣が正しい。なお、ここで県にヒエンと仮名をふっているが、巻五ではヱン。県の中国音に対する日本人の音のとらえかた、あるいは表記のしかたじたいにもいろいろと問題がありそうだ。
 五、庁は県とは別に府に直属する地方官庁で、分防同知がその長官。嘉興府の直轄する乍浦庁は海防同知が長官であったから海防庁、あるいは海防分府という。海防同知は府の補佐官で、海岸を防禦し安寧を維持する任を担当する。
(「清俗紀聞2」一四八〜一四九頁・『「東洋文庫・平凡社』)