布政司衙門
○布政司衙門での賜宴
[曾]
康熈二十五年、丙寅二月初五日、進貢の事の爲に使を奉じて正議大夫と爲り、耳目官魏應伯(今向
を以て姓と爲す)越來親雲上朝盛と同に官生梁成
楫等四員を帶して、十一月十四日、那覇をば開船
す。[・・・中略・・・・ 狂風に遭って宮古島に漂着して、後那覇にかえり、再度康熈二十六年九月に那覇を開船する・・摘要]・・・
十月初一日に福建に到る。賜宴の一事に至りては、明朝以来、貢使は皆宴を布政司衙門の傍屋に
官庁の文書を取り扱う人
て賜わる。此の時、、掌案 の林献をして、貢使の京に在いて宴を禮部大堂にて賜わり而して尚書が相陪するの例を以て、布政司張公諱永茂に告げしむ。是において、張公と兩院と相議して、而して、耳目官・正議大夫の二員は、宴を布政司紫薇堂にて賜わり、司道が之に陪し、都通事・才
な
府以下は仍ほ舊例に照らして宴を堂の傍の小屋にて賜わり、経歴司を以て之に陪せしむ。嗣後、耳
こと ここ
目官・大夫が宴を紫薇堂にて賜わる者、是においてか始まれり矣。
出 発
五月二十五日、福建をば啓行す。九月十七日到
京す。次の日、上表し、二十四日、貢物を納む。十月初四日、國王に欽賜の各色の綢緞等五十疋、并びにに賞する緞四疋、秋羅四疋、白綢四疋、
うけ
黄絹乙疋を領とれり。初め五日下馬宴を賜わり初
お
め六日、上馬宴を賜わる。公事已に畢わり、十三日、京都をば起身して、次年己巳正月二十二日、
かえに回る。・・中略・・・五月二十日歸國す。
(「那覇市史・家譜資料」二(上)三九二頁)
○右の「家譜資料」によって、進貢正議大夫曾の要請により康熈二十六年にはじめて耳目官と正議大夫の両人が、司道の陪席のもとに布政司紫薇堂において宴を賜わり、これが後々の例となったこと、しかし、都通事・才府以下は相も変わらず紫薇堂の傍の小屋において経歴司の陪席のもとに宴を賜わったことなどが知れる。