武挙
○清代の武官の中には武挙すなわち武科出身のものがあった。かれらはまず武童試、すなわち知縣が行う県試、知府が行う府試、学政が行う院試の三段階の試験を受け、合格者は武学生員の身分を取得する。試験の方法は騎射・歩射・技勇(開弓・舞刀・ム石より成る)ならびに黙写武経によって行われた。武郷試は總督あるいは巡撫を主考官として子・卯・午・酉の年に省垣において行われ、合格者は武挙人となり武官に就職できる。武挙人に対する武会試は丑・辰・未・戌の年に北京で行なわれ、その合格者約百名がさらに殿試を受け、その合格者が武進士となる。武進士は侍衛、参将、遊撃、都司、守備などの武官に任用される。武科
挙は明代から存したものであるが、朝廷も一般社会もこれを重用せず、武進士は文進士とは雲泥の差の待遇を与えられたので、人材が出なかった。武官としては行伍出身で、軍功によって陞進したものの方が遥かに敬意を表された(宮崎市定『科
挙』秋田屋、昭和二十一年二〇一〜二一二ページ)
(「イエズス会士中国書簡集」1・康熈編五九頁注二七、『東洋文庫・平凡社』)