封堵珍盤
○[考察]
甲:「福州役者より首尾申し出し候書き付け
卯秋走勢遣富接貢船、唐往還みおやたいり御双紙
ますます よ
一、大清國御太平、皇帝様倍 御機嫌能く御座遊
  ばされ候事
一、去年九月九日、那覇山川出帆、追い風好く、 直ちに唐に通船仕まつり、同十三日乍と申す 外山見掛け同日定海の沖へ碇を卸し候事
一、同十四日同所出帆、同日怡山院参着仕まつり 候事
一、同十五日安鎭諸衙門参官仕まつり候事
一、同十七日御改め相い済み、御船港内へ乗り入 れ候儀御免仰せ渡せられ候に付き、則日同所 碇を起こし、同十八日南臺着船仕まつり候事
一、同十九日封堵珍盤相い済み、御物、館屋へ卸 し、安挿仕まつり候事
一、同廿三日諸衙門参館仕まつり候事」
(「琉球王国評定所文書第一巻接貢船帰帆日記四六七)
乙:「[福建等處承宣布政使司]又、詳もて具題せんことを請 ひたる事の爲にす。

[福建等處承宣布政使司が]道光二十三年十月十三日、奉けとりたる総督部堂劉の批によれば①
福建等處承宣布政使司
本司 の[第二の]詳に②
しらべえ
『査得たるに、琉球國中山王尚は、都通事蔡世彦
等を遣はし、官伴水稍、共に八十九員名を率領して海船一隻に坐駕して來して、勅書並びに進貢使臣の歸國を迎接せんと、道光二十三年九月十八日、番船浦地方に駛抵せりしことについて、茲に
詳文による報告海防同知史密の詳報  に據れば、「[海防同知は]福協副将の魯承恩・海關委員卓凌阿と會同し、九月十九日に、人数並びに帶來の土産銀兩物件及び防船軍器を會驗し、即ちに十九日、館驛に安挿せしめたれば、分別に造冊して抄白符文執照と同に詳
まかりこ よろ ただ
もて送るなり、」とありて、前来せり。合しく就
した とりつ
ちに清冊を轉造し、文を具ためて轉 ひで詳すら
しさいに實を考察
ば察核 のうえ具題せられたし[第一の詳文]
以上の趣
との等由[の第一の詳文をもって具題を請求したれば、それに対して福建等處承宣布政使司は総督より]
受 しらべ批を奉けとりたるが、「撫部院の核たるうえ題す
あおぎまた 第一の詳文とこの批文を提出
るを仰候 れよ。 せよ。冊及び抄白執照は存せり。」とあり。[旨にしたがひて福建等處承宣布政使司は第二の詳文であるこの詳文を提出するものなり]』
②と、いへり。
①と、あり。(歴代寶案」七三六五~七三六六)
 右の甲・乙文書はともに道光二十三年(癸卯)派遣の接貢船についての記録である。この甲・乙の文書を対比して次のことが了解される。
①文書乙の「九月十八日、駛抵番船浦地方]の「 番船補地方」が、甲に「同十八日南臺着船仕候」 とあるによって、「南臺」と同意であること。
②文書甲の「同十九日封堵珍盤相済」の「封堵珍 盤」が文書乙の「九月十九日、會驗人数並帶來 土産銀兩物件及防船軍器」と同意であること
○[封堵珍盤]の訓みの検討
(ア)  封 :封じる。閉ざす(「中日大辭典」)
(イ)  堵 :ふさぐ、ふさがる、遮る、阻む。
                  (「中國語大辭典」)
(ウ)  珍 :宝物、貴重なもの(「中國語大辭典」)
(エ)  盤 :取り調べる(「中國語大辭典])
 右文書甲、文書乙及び(ア)から(エ)によっ
ふう ふさ 宝 しら
て、「封堵珍盤相済」は「封じて堵ぎたる珍の盤べ相い済み云云」と訓めよう。