福防廳
○福防廳はその字を見て公署すなわち「役所」のような気がするが、「福建府志」「f候縣志」「福建通志」の「公署」の項にあたっても「福防廳」に関する記事はない。ところが、「福建通志・倉儲P一〇四三」に「福糧廰常平倉」「福防廳常平倉」「平譚廰常平倉」等の用語がある。この三つの用語の後に、「f縣常平倉」「候官縣常平倉」
等の用語もある。
 「f縣常平倉」「候官縣常平倉」の如き縣という行政単位にある常平倉という命名法に照らして、「福糧廰常平倉」「福防廳常平倉」の命名法を考察し、「福防廳」が何たるかを明らかにしたい。
 @「福糧廰常平倉」の福糧について
「福建通志・倉儲P一〇四三」の「福糧廰常平倉」の割註に「嘉慶二年經前廰富永詳准動項興
修」という句がある。
 「福建通志・國朝職官P一〇四三」の「糧捕通判」の項をみると、「富永[i白旗満州官生、嘉慶二年任]」とある。
 「福糧廰常平倉」の割註によると、嘉慶二年に富永が詳して「動項興修」を許されたということであるから、富永が「福糧廰常平倉」の責任者であったことがわかる。そして、その責任者の富永
の「官職」は「福建通志・國朝職官」によると、
 ◎
「糧捕通判」であり、またそれは「福州府」の「
 ◎
糧捕通判」であった。
 右のことから「福糧廰常平倉」の福とは、福州府の「福」であり、糧は「糧捕通判」の糧であると考えられる。
 A廰について
 「廰」は「中国官制詞典」によると、「清代の地方の行政単位](原中文)とあって、「行政単位」の一種であることがわかる。従って、「福糧廰」というのは、福州府の「糧捕]を職務とする「役所」(行政単位)であると考えることが出来る。
 B「福糧廰常平倉」の意味
右のことから「福糧廰常平倉」というのは、福
州府の「糧捕通判」が管理し「糧捕」を職務とする役所である「福糧廰」の「常平倉」であると考える。
 C「福防廳常平倉」
「福建通志・倉儲P一〇四三」の「福防廳常平倉」の
六年の誤植か
割註に「嘉慶元年同知張采五詳准動項興修」の句が見える。それから、「福建通志・國朝 職官」の「海防同知」(P二〇五八)の項を見ると、「張采五[浙江蕭山監生、五年任](五年は嘉慶5年のこと)とあって、張采五が嘉慶五年に「海防同知」に任ぜられていることが分る。
六年の誤植か
「福防廳常平倉」の割註に「嘉慶元年張采五の詳によって、「動項興修」を准されたということから、張采五が、「福防廳常平倉」の責任者であったと考えられる。その責任者としての「官職」は
◎ ◎
「福州府の海防同知」であった。
◎ ◎
  以上のことから、「福防廳常平倉」の「福」は福州府の「福」、「防」は「海防同知」の「防」であると考えられる。
 「清會典」に次の記録がある。
「沿海沿江、即将軍督撫・分其治於關道・巡道・
守道、道分其治於廰以設防[割註略]凡海防同知十有四人、海防通判二人、江防同知三人[海防同知、・・・中略・・・
福建省福州府二人、海防通判、福建省j州府一人・・・]
  右の「清會典」によると、「海防同知」はその治を道より分かち受けて、「廳」でその職務である「防」すなわち「海防」のことを行う、と解される。「廳」はさきに見た通り「行政単位」の一種であある。
 右のことから「福防廳」というのは、福州府の「海防」を職務とする「役所」であると考える。従って、「福防廳常平倉」というのは、福州府
「海防同知」が管理し「海防」を職務とする「役所」である「福防廳」の常平倉である、と言うことが出来よう。
 閑話休題 「福防廳」「福糧廳」の命名の仕方は、「興泉永道」の命名法、すなわち、興は興州の興、泉は泉州府の泉、永は永春州の永、のそれぞれの府・州の頭文字を取ってつなげて命名する仕方と類似の用法である。(参照:[清國行政法」)
 さて、「歴代寶案」に頻りに出てくる「福防廳」というのは「海防同知」の職務を行う「役所」であることが以上の考察によって明らかになったと考える。
 尚、「海防館」というのは、「海防同知」が職務を行う「役所」の「建築物」を指すととともに「海防同知」の象徴として「海防同知」そのものを指すものと考える。
○「准據f安協福防廳各咨報到司」 参照:「准據」
○「歴代寶案」の例
@「本司詳、査得・・・先據福防廳福防聽申報、 到司
福建等處承宣布政使司 しらべえたる
@「本司 の詳によれば、”査得 に、・・
うけ
・・・とあること、先に福防廳の申報を據とりて司に到れりとあり」(参照:據報到司)