門使 参照:把門官
○[尚敬王即位七年、一七一九年の条]向秉乾、柔遠驛を修葺するの
おく
費銀、毎年三十両を寄るの例に改定す。
徃昔の世より琉球柔遠驛を修葺するの費銀は進貢して中華に入るの時、庫官、五主、水稍等を率領して、先ず驛館に到り、修葺完竣して上下の員役、館驛に安挿す。其の費銀三百兩なり。接貢の時に當たりても亦然り。其の費用銀一百五十兩なり。然れども費銀甚だ多し。向秉乾(當間親雲上朝斉)耳目官と為りてfに在るの時、乃ち門使呉天統を召して曰く、今番、庫官をして大いに修葺を加へしむ。此れよりして後、毎年、汝に三十兩を寄授せば、球船未だfに入らざるの暇間、預め
修葺を加ふること如何と。天統其の命に從ふ。爾よりして後、本國多く利有り。是れに由り、永く著して例と為す。(「球陽」七三九)