諭旨十一道
○雍正帝は即位の翌年、雍正元年春正月朔、諭旨十一道を天下の官僚に頒っているが、これは總督・巡撫・督學、提督、總兵・布政司・按察司・道員・副將・遊撃等官、知府・知州・知縣の各官に對し、夫々の心得を諭したもので雍正帝の施政方針を闡明したものと見るべきである。この中で共通に言及していることは當時の言葉として名實兼収といわれている弊風を指摘して戒めている點である。雍正帝は言う、
  今の官に居る者は譽れを鈞りて以て名と爲し、  家を肥して實を爲し、而して名實を兼ね収む  と云うなり(實録・東華録同日條)
ここに名と實とを對立させているが、實際は同一物の半面ずつである。何となれば、名とは官僚社会における顔のことであって、顔が利けば好い地位が獲られ、好い地位からは富が得られて家を肥やす實を収めることができ、富があれば再びそれが資本となって顔を廣くすることが可能だからである。官僚生活においては顔、即ち名譽が大切な資本であって、富と表裏するものであるが、この名譽は主として交際によって得られるものである。學問は交際のためには犠牲に供せられる。こんな官僚のために交際費を負擔する者は、結局は外ならぬ人民であり、悪政のために最も苦しまねばならぬ犠牲者もまた人民に外ならぬ。そしてこういう人民の怨嗟に對して最後の責任を負うのは天子一人である。官僚はいよいよ形勢が悪くなれば降参しても助かるし、寝返りを打つという手も殘されているが、天子ばかりは實權を失えば王朝と共に滅亡しなければならぬ。天子と人民を犠牲にして官僚が名實を兼ね収めることは許すことができぬ、という決心を示したのが雍正帝の改元年頭に
おける十一道諭旨の宣布であったのである。
(『雍正時代の研究』「雍正\批諭旨解題」)